人 の 心
(一)
外には寒い二月の風にまじって、小雨が降っているのに、赤々とストーブが燃えて部屋の中は南国のようであ
る。夢のようなシャンデリアの光の中に、はでな和服姿の女性が、お盆に酒のビン、ウイスキーのコップをのせ
てあちらの卓、此方(こちら)のテーブルへとはこんでいる。賑わっているとは言えないが、時々高い男の笑声、若い女性
の嬌声(きようせい)が起こる。何となく情緒をそそるような光景である。ここは銀座の裏通りの、とある一軒のカフェーであ
った。
入った左側に一列になって互いに背中合わせになった皮のボックスの四人掛けが、四つ行儀よく並んでいる。
前の方に二組のお客が坐っている。一番奥のボックスに二十七、八の男性と二十一、二の女性とが向かい合って、
酒をかわしていた。女性はここのカフェーのナンバーワンで澄子といわれる丸ポチャな目の澄んだ愛嬌のある女
性であった。笑えば片方の頬に笑窪(えくぼ)が見え、薄化粧も何となく男をひきつける力があった。
『スーさん、馬鹿に景気のいい事をいうじゃない、何か儲かる事が出来たの』
『そうさ、月給が上がったんだよ、一度にドッと六十円、すごいだろう、アハハハ』
『今時、この不景気にスーさんみたいな不良に、六十円もポンと月給を上げる社長さんの顔が見たいわ』
『冗談じゃない。僕が不良だとはとんでもない。これでも謹直(きんちよく)そのものだ。腕を見こまれたんだよ腕を』
『ヘェ、あんたに腕があるのは知っているさ、確かに二本もっている、おまんまを食べる時に箸を持つ手と茶碗
を持つ手とね。オホホホ』
『腕は腕でもその腕じゃない。虎造の文句じゃないけど、大将といっても隣りの大将じゃないというのと同じさ。
陸軍大将と隣りの大将とは違うからな』
『それじゃあんた陸軍大将の腕なの、偉いんだね』
『お前の口にかかっちゃかなわない、確かに口から先に生まれたらしい。』
『ね、スーさん、本当にあんたの腕って何さ』
『これでも僕は札幌師範じゃ、一番の文章家だったんだぞ。文章を書かせちゃ、学校中並ぶ者なしと言う最優秀
の腕があるんだよ』
『まあすごい、けれどもそんな腕がどうして六十円になったの』
『今度、僕ん所の親父の親父が面倒な本を出すんだ。その本の原稿を僕の文章で立派にするというわけさ』
『毎日毎晩のようにここで遊んでいて、いつそんな事をする時間があるの?』
『それがさ。とても汚ない原稿なんだ。封筒の裏へ書いたのや広告紙、あのチラシさ、そのチラシの裏へ書いた
のだの、見られないような紙に殴り書きなんだ。どんな名文家でも手のつけようがありゃしない。それでも御自
分は御自慢でいるんだからあきれたものさ。仕方がないから、丸と点とをいい加減に打って、原稿の紙のちがう
度に『と』とか『て』とか『して』とか『雖も』とかいう字をちょこんちょこんと入れて置くんだ。まあそうし
ておけば書いた本人にはわかるだろうから文句はあるまい。あんな本は読む者も買う者もありゃしないんだから
簡単なものさ』
(二)
巌さんの居間は塾の二階の東南の隅にあった。四畳半の総檜作りの、洒落た部屋であった。
床の間を後にして出窓に肘をついた、牧田先生の前の机の上に原稿と印刷のゲラが置かれてあった。その前に
巌さんが、坐っていて午後の日射しに頬を赤らめて、
『先生、この原稿は教育漫談のようで何ら思想の統一が出来ていません。須藤君が三月もかかって原稿を推敲(すいこう)し
たとは思えませんが、これはどうしたことでしょう』
『困ったものだ、誰か居らんかね』
師弟二人無言のまま十分程互いに考えこんでしまった。その時、巌さんが思いつめたロ調で『私がやりましょ
う。一切投げてやりましょう』
牧田先生は返事をしない。巌さんより有力な文章家を心の中に求めているのであった。巌さんではとうてい出
来ないと思い込んでいるらしい。牧田先生の頭の中には、自分の手元にとび込んで来た二十一歳の青年のあの熱
情的な巌さんが強く残っていて、十幾年の間に、内面的に学問の上で成長した巌さんを知らなかったのである。
自分の教えを素直にきく巌さんの口からは、何の誇張したような学問の話を聞かなかったからである。
それでポッツリと一言『巌君、君で出来るかね』といった。そういう語調の中には君では無理であろう。とう
ていこなし切れないという意昧が受けとれた。巌さんの顔はみるみる紅潮して目の色も鋭く光った。そして恩師
をじっと見つめて、
『先生、貴方(あなた)は誰にこの教育学説を読ませるつもりです? どんな階級の人によませるつもりです? 不祥巌は
愚かなものであり、先生にはとうてい及ぶ事の出来ぬ者でありますが、伊達に、中央大学で学んだのではありませ
ん。私は読んだ本でなければ、又読むときめた本でなければこの書斎には置きません』
と言ったかと思うと、すっと立って唐紙を開けた。押入れの様になっているかげには一ぱいに書物がつまって
いる。
『この一番下が数学の切歩より全集、隣りが高等数学の全集、この上の半分は経済学の全集、この隣りが法律の
書籍です。この上の段は哲学の書籍と英文の小説です。その上の段の半分は漢書で、後の半分が増鏡を始めとし
て、中学教員の試験を受け得るだけの書籍です。今私が読みかけている本はこの社会学ですが』
といってその本を持って先生の前に坐った。
『これは先生の御弟子で田辺先生の高弟です。これでも私が先生の思想をまとめる力がないとおっしゃるのです
か』
と強い強い力でいい切った。
さっきから巌さんの動作をじっと見まもり、巌さんの言葉を胸に打ちこまれるようにきいていた先生は『君に
頼もう、すまないが力一パイやってくれたまえ』と言ったと思うと言葉の終わりには、先生の目にも涙が一粒二
粒ながれた。
巌さんは敷いていた布団のちりをはらって『言いすぎまして申し訳ありません。力一パイやらして頂きます』
といって素直に頭を下げた。
(三)
巌さんはその日から牧田先生の原稿と首っ引きになった。
巌さんはその前の年に指導算術という、八百頁にわたる大部の数学書をこしらえていた。これは全世界の算術
を分類し牧田先生の指導法によって順序よく配列に工夫した書物である。
この本を発表した経験が生きて、牧田先生が同一問題を論じている部分部分に分類出来、又分類した一つ一つ
の学問はそれぞれの一つのつながりがある事を発見した。このように牧田先生の原稿を各項目項目に分類して、
その項目の中の原稿をよく読んで見ると、同じ文章が幾つもあり、その同じ文章の前後は異なった思想が表現さ
れていた。そこで、同じ文章を切り取ってこれを畳の上へ思想の順に並べて見ると、実に面白い事が発見されて
来た。広告ビラや封筒の裏や反古紙(ほごし)の裏に書かれている文章は、単なる接続を入れる事によって一巻の文章とな
り、一つの思想を立派に表現しているのであった。
一頁一頁と原稿が完成され出したのは、原稿を読み出してから一ヵ月目である。牧田先生の喜びは巌さんの喜
びであった。又牧田先生と三十年来の友人である富(ふ)山(ざん)房(ぼう)の生沼支配人も我が子の育つ様に絶えざる声援をなされ
た。生沼大蔵氏の紹介でこれが組版にかかった精興社の主人公も、永く生沼さんにひきたてられているという点
で力一パイの腕を振るってくれた。精興社の主人である西川さんが、ただこぼし抜いたのは、牧田先生が自分の
原稿が気に入らないと、四辺も五辺も組み直しをさせる事で、これには悲鳴を上げてしまった。
生沼支配人にこの事を訴えたら、
『くせだよ、くせだよ。昔あの有名な人生地理学が今少しで出来上がるというさ中に、一月も雲がくれした牧田
先生だよ。組み直し組み直しで印刷屋からはやかましくいわれるし、僕からは苦情をいわれるし、その上、何か
素晴しい、新らしい考えを起こしたらしい。それで雲がくれして、又新しい原稿を出して印刷屋を泣かした剛の
者だよ。その位が当たり前だよ、ハハハ』
と大声で笑い出した。
涙ぐましいような師弟の結びつきと美しい友情とのおかげで、教育体系の第一巻が出版されたのは、昭和五年
十一月であった。牧田門下生は奮い立って喜んだ。又牧田先生を白金小学校から出すまいとしている数百人の保
護者も非常に喜んで讃えた。かげの力であった巌さんは誰一人ほめもしなかったが一人ニヤニヤとしていた。特
に喜んだのは札幌師範時代の教え子で、日本大学の講師をしていられたデュルケーム学派の田辺寿利さんと、牧
田先生の仲人で、生沼大蔵さんの長女と、昔同じ大正小学校で先生の教えを受けて、今、歯医者をしている大竹
さんとであった。
ことに田辺寿利さんは序文の中に
『ファーブルは一小学校長ではあるが、その権威ある発表に対してフランスの首相は駕(が)をまげて敬意を表した。
一小学校長牧田城三郎氏が、かつて無き教育学体系を発表したが、日本は何をもってむくいるや』
とのべている。
悲しいかな、十有余年後に日本は、この高潔なる大先生に牢死をもってむくいるとは、神ならぬ身の誰一人知
る者もなく、只あふれるのは胸の喜びだけであった。
(四)
穏やかな春風に吹かれながら、うす暗い高田馬場の駅のホームのベンチで、牧田大先生と巌さんが腰を掛けて
話をしていた。
下弦の月は影うすく、空には星影が光々と、銀の砂を散りばめたように光っていた。もう十一時は廻っていた
のであろう。
『巌君、お釈迦様は偉大な推理力を持っていられたように思う。お釈迦様が亡くなってから、千年を正法と言
い、後の千年を像法と言い、二千年以後を末法と言うのだそうだ。前の正法の一千年を、五百年ずつに分けて前
五百年には解脱堅固と言って戒律を持つ、僧侶の多い仏法の時代だそうだ。後の五百年は禅定堅固と言って、心
静かに仏法の思索をする時代であるそうだ。又後の千年を五百年ずつ二つに分けて、前の五百年を読誦多聞堅固
と言って、仏法の研究が非常に盛んになる時代である。日本では聖徳太子の頃が終わり頃ではあるまいか。後の
五百年は多造塔寺堅固と言って、寺がたくさん東洋中に建てられる時代で、日本では奈良朝から平安朝にかけて
の時代であるが、歴史的に見て、その通りである。釈迦が死後の仏法変遷を予言してその通りになったと言う事
は偉大な推理力の持主であったと思うがね』
『先生、二千年だけしか予言できなかったのですか、仏様と言ったって、大したものではないですね』
『いや二千年で沢山なんだ。今日の三谷さんの話にも関係があるんだ』
『今晩立正安国論の講義を聞きましたけれども、チンプンカンプンで、何だかちっとも解りませんでしたよ、が
っかりしてしまいました』
『君のようにキリスト教を夢中で研究したり、経済学や数学をやっている人間には、方角違いで解らんのも無理
はない』
『非常にみんなが感心しているんですが、そんなに感心した議論なんですか』
『うん、大変な問題なんだ、日蓮大聖人の予言書で、それも又ぴったり合っている偉大な推理力だ。しかし巌君、
偉大な推理力とばかり言えようか。何よりも深いものがあるように思える』
『先生がそんなに感心したとなると、これはちょっと考えものですね』
『わたしも色々な書物を読んだが今度の信仰問題や思想問題は本当に新らしい、しかも広遠な分野で実に戸惑っ
ているのだ』
『釈迦の予言と日蓮大聖人の予言と一体、何のかかわりが有るのですか』
『それがさ、わたしにも大問題なんだ。戸惑っていると言うのはその事なんだ。この問題が私の胸の中に錐(きり)のよ
うにさし込んで来る。そうすると、あらゆる考え方が黒雲のように湧き出て来てどうにもならない。唯々御本尊
様を拝し奉って思い迷うだけなのだ』
『先生、話は別ですが本尊という物は何ですか』
『それが大問題ですね』
巌さんは先生の心境が奇妙になったと気が付いて先生の顔をまざまざと見た。遠くから電車の走る音が聞こえ
て来た、そして目を新宿の方へ向けて深い息をはいた。