後の【人の心】の章で出てきますが、以下のようなストーリーは、文庫本にはありません。

なぜ、文庫本の内容が違うのか。

そして、文庫本の、「あとがきにかえて」戸田城聖とありますが、はたして戸田城聖先生の書かれた文章かな?と思います。

私の常識では、師匠と思う人の書いたものを、書き換えることなんか考えませんけどね?時が経ち表現が不適当というようなこともあったとしても、時代が違うことの注意書きでいいのではないでしょうか。学会員皆さん、日本人なら理解できると思いますけどね。

 

※私見 上の部分のテキスト

 

        (二)
 巌さんの居間は塾の二階の東南の隅にあった。四畳半の総檜作りの、洒落た部屋であった。
床の間を後にして出窓に肘をついた、牧田先生の前の机の上に原稿と印刷のゲラが置かれてあった。その前に
巌さんが、坐っていて午後の日射しに頬を赤らめて、
『先生、この原稿は教育漫談のようで何ら思想の統一が出来ていません。須藤君が三月もかかって原稿を推敲(すいこう)し
たとは思えませんが、これはどうしたことでしょう』
『困ったものだ、誰か居らんかね』
 師弟二人無言のまま十分程互いに考えこんでしまった。その時、巌さんが思いつめたロ調で『私がやりましょ
う。一切投げてやりましょう』
 牧田先生は返事をしない。巌さんより有力な文章家を心の中に求めているのであった。巌さんではとうてい出
来ないと思い込んでいるらしい。牧田先生の頭の中には、自分の手元にとび込んで来た二十一歳の青年のあの熱
情的な巌さんが強く残っていて、十幾年の間に、内面的に学問の上で成長した巌さんを知らなかったのである。
自分の教えを素直にきく巌さんの口からは、何の誇張したような学問の話を聞かなかったからである。
 それでポッツリと一言『巌君、君で出来るかね』といった。そういう語調の中には君では無理であろう。とう
ていこなし切れないという意昧が受けとれた。巌さんの顔はみるみる紅潮して目の色も鋭く光った。そして恩師
をじっと見つめて、
『先生、貴方(あなた)は誰にこの教育学説を読ませるつもりです? どんな階級の人によませるつもりです? 不祥巌は
愚かなものであり、先生にはとうてい及ぶ事の出来ぬ者でありますが、伊達に、中央大学で学んだのではありませ
ん。私は読んだ本でなければ、又読むときめた本でなければこの書斎には置きません』
 と言ったかと思うと、すっと立って唐紙を開けた。押入れの様になっているかげには一ぱいに書物がつまって
いる。
『この一番下が数学の初歩より全集、隣りが高等数学の全集、この上の半分は経済学の全集、この隣りが法律の
書籍です。この上の段は哲学の書籍と英文の小説です。その上の段の半分は漢書で、後の半分が増鏡を始めとし
て、中学教員の試験を受け得るだけの書籍です。今私が読みかけている本はこの社会学ですが』
 といってその本を持って先生の前に坐った。
『これは先生の御弟子で田辺先生の高弟です。これでも私が先生の思想をまとめる力がないとおっしゃるのです
か』
 と強い強い力でいい切った。
 さっきから巌さんの動作をじっと見まもり、巌さんの言葉を胸に打ちこまれるようにきいていた先生は『君に
頼もう、すまないが力一パイやってくれたまえ』と言ったと思うと言葉の終わりには、先生の目にも涙が一粒二
粒ながれた。
 巌さんは敷いていた布団のちりをはらって『言いすぎまして申し訳ありません。力一パイやらして頂きます』
といって素直に頭を下げた。

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この部分は、牧口先生の事を本当に思っている故の表現だと思います。