(六)
貞三は大先生の顔をまぶしそうに見ながら
『小泉が大先生に私の事をどう言いましたか知りませんが……』
と言いかけた時、大先生は
『小泉さんは何ら貴方の事をいいませんが、大法に照らして、はっきりと言い切る事が出来るのです。小泉さん
は大善生活によって、運命を転換し得られましたし、貴方は大善生活の何物たるかも知らない。此処に幸福と不
幸の別れ目があるのです』と、絶対の確信の態度である。女房がうるさくいう大善生活の本家本元がこの人で、
この人がいるから愚にもつかない信仰を持ち出して大善生活、大善生活と騒ぐのだと憎らしくなって来た。そこ
で貞三は少しとがり声で、
『大善生活と信心とは関係ないでしょう。日蓮を拝んだからとて、大善だなんと言うのは、論理の飛躍でもあり
又独断でしょう』
その時、大先生は落ちついて言った。
『善にも小善、中善、大善とある。人に物をやったり、道路で下駄の鼻緒の切れた人を見て、これをすげてやっ
たりするのは小善で、こういうことだけが善の全部だと思い込んでいる人は小善人です』
道路を直したり、橋をかけたり、安い品物が便利に皆に分けられるようにする。― 即ち大衆の利益を計るの
は中善です。この善より最高がないと思い込んではならない、最高の善がありこの善をしなくては民族の更生も、
一国の安定も、一家の平和も、個人の幸福もないと主張するのです。一般大衆に『幸福になる種子』いいかえれ
ば『幸福に必ずなる根元的な生命力』を分かち与えることが最高の善なのです。この種子を心田に蒔くなら、必
ず幸福になる。そして、この『幸福の種子を多くの人へと贈る。これが大善生活で根本的運命の転換が行なわれ
るのです』
貞三は、おつやからの又聞きとは違った感じを受け、知らず知らず大先生の確信に引きずられて、『その幸福
の種子とは信仰ですか』
『そうです。日蓮大聖人の末法の救いである法華経、七文字の南無妙法蓮華経を信ずることが幸福の種子を持っ
たことになるのです』大先生は続けて『貴方は幸福ですか』と、尋ねた。貞三は、はね返すように
『私は幸福です。満足しています』
大先生は哀れむように
『誰でも幸福だ、と口では言うが、真実この末法の現在に、幸福な者がいるわけがないのです。幸福とは価値の
生活で美の価値、利の価値、善の価値生活即ち利善美の価値を充分に生活の上に獲得していなくてはならないの
です。日本では独逸(ドイツ)の価値論に迷って真善美が価値内容だと思い込んているが。利善美が価値の内容です』
大先生、だんだん難しい事を言ってくるので、一本やりこめるどころの騒ぎではない。解ったようで解らない
でいる所へ大先生の厳しい声が起こった。
『貴方は美しい家庭生活をしておりますか』
貞三は美しい生活です、と言おうと思ったが、あのじめじめした自分の家を思い出すと言う勇気がない。
『貴方は物質的に満ち足りておりますか。これが利の価値を計る標準ですが ―』
おつやのやつれた姿が目に写って来た。貞一にも満足な着物を着せていないのがつらい。
『貴方は世の中の人に何を与えていますか。社会に美と利の価値を提供しているかね。これが善の生活です』
貞三は返事の仕様がなくなった。
(七)
やっつけるどころか、散々にこき下ろされている形である。口惜しいがどうにもならぬ、喉をごろごろ鳴らし
ながら、かすかな声で、しかもふるえを帯びて、
『それが日蓮と何の関係があるんですか』と尋ねた。
『日蓮大聖人は末法の仏でいらせられる。御本仏でいらせられる。我々一切の衆生を救うために御出現になられ
たのである。貴方が真実の南無妙法蓮華経を唱え、信ずるなら、貴方に強い強い生命力が湧き出て来るのです。
貴方は絶対の功徳をうけるのです。生活として利、善、美の生活が出来て来るのですが。但し南無妙法蓮華経と
言っても何十種類もある、仏立講、身延、中山の法華、霊友会、立正佼成会なんかは邪宗と言って不幸の種子に
なるが、真実正直の日蓮大聖人から法灯連綿とつづいた、清浄な世界唯一の南無妙法蓮華経こそ幸福の種子です。
是非貴方もこれを信じて、貴方自身も貴方の一家も運命の転換を計って、この幸福の種子を人々に分けて大善生
活をやりなさい』
最後命令的に聞こえる『やりなさい』に、わけのわからない反撥心が湧いて来た。唯いらいらして来た。返事
の仕様がないからだまったままで暫くたった。つっ込むどころか追い込まれているのである。先生の追撃はなお
も厳しい。
『貴方は卑怯です』
貞三はひやりとした。いつもおつやに言われている言葉である。
『私の言うことに良いとも悪いとも言わない。そんな意気地なしでどうします。大善生活に貴方反対ですか。こ
の有難い大法を、聞いてみようとも知ろうともせず、悟ろうともしない。これを悪人というのです』
貞三はもう沢山だと思った。腹は立つ、いらいらする。何か反対を言おうとするが、大確信に満ちた大先生の
態度、威厳のある声に圧倒されて只もじもじする許りである。
『おつやに俺の立派な所を見せてやりたい』と言った言葉を思い出して悲しくなった。声を出そうとすれば『ヘ
イ、大善生活をやります』と言い出しそうになって青くなった。赤くなったり青くなったりである。
『またよく考えて上がります』
と言ってそこそこに座を立った。丁寧な老夫人に送られて、大先生の『小泉さんを離れてはいけませんよ。よ
くお話を聞くんですよ』と言う声を後にして道路に出た時、ホッとすると同時に、みじめな自分の姿に涙が自然
にこぼれた。
しかし妙にこじれた気持ちになって、小泉さんと、牧田先生をのろわしく、おつやにさえ憎しみを感じた貞三
は逃げるように省線電車にのった。行き先は蒲田の駅近くで食堂をやっている妹の家だった。二年近くも遇わな
いがふだんは思い出したこともない。この前、すりの現行犯で引っぱられた時に、兄妹の縁を切ると言い渡され
た妹むこの平沼の四角ばった顔を、憎い奴だと時々思い出す位である。三人の子供のある妹のお福は、気の強い
女で貞三を兄として取り扱ったことは一度もない。小金をためているらしいが貞三が尋ねて行くたびに、金でも
借りに来たのかと思うらしい、不景気だというのが口ぐせであった。
今日の貞三はその妹を急に恋しくなったのである。陰気な自分の家の事と、おつやが必ず牧田先生と会った時
の事を聞くだろうし、又いつものように日蓮様を拝むと言いだす事を考えると家へ帰るのが嫌だった。それにあ
んな小むずかしい話を聞いた後だから、すりのよい得物でもあったら、一遊びしてやろうと考えたせいもあるの
で、蒲田へ出かける気にもなったのである。
(八)
貞三がガランとした食堂に入ると十二、三の女の子が子猫を抱いて居ねむりしていた。お福は、奥の間でカチ
ャカチャやっている。貞三は『おや』と思った。思い切って食堂との仕切りの障子をあけて奥の間をのぞいた。
六畳の間で長火鉢があって、長火鉢の横に茶だんすがある。その上に、一尺位の『まねき猫』が置いてあって、
その隣に三尺の仏だんがあって、お福がその前に神妙にチョコナンと座って、カチカチたたきながら『南無妙法
蓮華経』と唱えている。貞三は、今日は何所へいっても日蓮様と縁がある日だと思って『おい、お福』と呼んだ。
お福はびっくりしたように顔をむけた。昔のお福の顔ではない。やつれていらいらしているらしい様子で、兄を
見るとまぶしいような顔をして『まだ帰らないんだよ』と呼んだ。貞三は妹むこの事と直感して『何、あいつに
は用はないんだ。なんぼ兄弟の縁切りされたって、ここを通ったから、お前の顔を一寸見て帰ろうと思って寄っ
て見たのさ』と何気ない振りをして返事をした。お福は、急になつかしそうにして
『兄さんお茶を入れるよ、お上がりなさい。何はどうしているのさ、まだこれかね』
と指をまげて見せた、小馬鹿にしたように、
『何、馬鹿なことを言うな、今は堅気だよ、立派な印刷職工なんだ』お福は、お茶つぼを茶だなから出しながら
『あてにはならないがね、それはそうと、子供が生まれたって言うが丈夫かね、亭主がやかましいから顔出しも
しないがさ』貞三は妹らしいものを感じながら
『丈夫でいるよ。お前、カチカチやっていたが、日蓮様かえ』お福は味方が出来たような気持になったらしい。
『日蓮様は有難いよ、とても有難いもので、金もうけも出来るんだとさ』
『大善生活かい』
『いやそんな生活ではない。とても有難いもんで、財産家になるんだとさ、亭主も一生懸命だ、私も一生懸命な
んだよ、兄さんも仲間入りしなよ』
貞三は牧田先生の顔と、おつやの毎日、日蓮さん日蓮さんとせがんでいる姿を思い出し、又小泉の奴を出し抜
いてやろうと考えた。
そして、この家に死んだおふくろさんが拝んでいた日蓮さんがある筈だと考えつき、その日蓮さんをもって帰
っておつやにやろう、おつやも納得するし腹いせも出来る、妙案この上もなし、と思わずニヤリとした。
『ウン、仲間入りをしよう、お前のような学問のない者に大善生活の話なんか聞かせてもわかるまいが、それは
大善生活ってすぱらしいことなんだ、俺も神妙な堅気になったんだから、日蓮さんを拝むことにきめているんで、
お前の所へ寄ったんだが、お前がやっているとは感心な事だ。偉い、さすが俺の妹だ、所でおふくろさんの拝ん
だ日蓮さんがお前の所にあるだろう』今度は、お福がびっくりした。
『兄さんが信心するって驚いたね、私のは仏立講って、日隆上人様の日蓮さんなんだ、日扇上人様て偉い上人様
が、東京へおひろめになったのさ』
『それは皆、日蓮様の親類か』
『日蓮様の親類ではないたろうが、それに似たもんだね。お母さんのは身延山のだよ、それよりはよいらしい
よ』
『いや俺はおふくろさんのでよい、お前とまけずに信心のしっこして、兄妹仲よくやろうよ』とお福と妙に話が
あって急に仲よくなり、死んだおふくろさんの日蓮様をもらい、酒までおごってもらって我家へ帰途についたの
は夜に入ってからであった。