「池田大作先生」という言葉の使い方

 

「先生」という言葉は、私の考では、私より先に生まれた人であって、敬語の意味では使わない。学校の先生の場合にのみ年下であっても先生と呼ぶ場合が多い。医者とか弁護士とか政治家などには使わないと決めている。

 

 政治家などに何々先生など言ったら、自分らがなにか偉くなったように思って慢心する。仏法的に言えば、而生憍恣心(にしようきようししん)である。

 池田大作先生も、公明党議員には、先生など言う必要は無い、これしろ、あれしろ、と使うんだ、言ってやるんだ(趣旨)と言われていた。

 

 ここで、池田大作「先生」と一応書いているが、私の中では、先に生まれた人、という意味で使っている。本当は、つらいが、呼び捨てにしてもいい人だと思っている。仏敵である。理由は新人間革命である。国恩を忘れている!父母師匠の恩を忘れている!衆生の恩を忘れている!

 

報恩抄『仏教をならはん者父母・師匠・国恩をわするべしや』

 

2019年からはじめたTwitterの投稿で、聖教新聞というアカウントがあり、そこで池田大作先生と呼びかけて、今の創価学会の誤りを正してほしいと思い投稿してきた。(聖教新聞の公式アカウントというのがあり、韓国のどっかの大学から表彰されたとそのアカウントで紹介されたがそれについて、「愚人にほむらるるは、智者の恥辱なり。大聖にほむらるるは、一生の名誉なり。心して御本尊の馬前に、屍をさらさんことを」と戸田城聖先生の巻頭言から引用した文を載せていたが、だからか今ではブロックされている。創価学会の中に韓国人が多くなったと聞くが、在日朝鮮人が聖教新聞社の中に多くいるようだ。)

 

 そのTwitterの投稿の中で、新人間革命についての歴史認識の誤りを投稿した。それが小説という仮想の物語としてであっても、誰も真実だと思わなければいいが、今でも聖教新聞紙上では、新人間革命を引用している。それは、創価学会員に対する洗脳である。歴史認識の誤りをも洗脳することである。また池田大作先生を神みたいに祭り上げ洗脳を続けるつもりなんだろうな。仏法を知らない者ばかりが本部幹部となって聖教新聞社に入っているのではないか。中国人や在日韓国人などが多く入っているのではないだろうか。

 このような洗脳の手段として存在しているであろう聖教新聞は一部2千円ほどであるが、読まなくていいし取らなくていい。

 今では、人間革命をするのには、必要でない。折伏するのにも必要ない。

 

 

例えば、新人間革命8巻には


 


新人間革命3巻には

お兄様まで利用し、この巻にも、自分の父親まで登場させ、日本が侵略者で日本が悪いというのである。嘘だらけである。

 

参考文献には堂々と

などなど。全くのプロパガンダである。

 

韓国の教科書を参考にしている。歴史捏造国家だぞ、韓国は。韓国のプロパガンダを純粋な創価学会の日本人に押しつけるつもりか?!

悔しくてたまらない。あまりにも日本の歴史を知らなさすぎる。戸田城聖先生のお側にいたはずなのに、畜生である。

 

私は、私の叔父が戦争で24歳で亡くなっているのだが、私の父の兄である。その叔父は実家の長男であった。

私の父は、池田大作と同じ年の生まれ、昭和3年である。そして池田大作の兄は同じビルマで戦死された。

そして、私の祖母、その叔父の母であるが、私の祖父は昭和13年に死亡して、祖母一人で子等を育て、多分長男を戸主として頼りにしていたであろう。

 

その長男の戦死を知らされた時、祖母の思いは、どんなであっただろう。私が知る限り、長男の戦死を日本軍部のせいにしたり、戦争したのが悪いなどと言ったことはなかった。

 

戸田城聖先生でさえ、そんな事は言われていない!原水爆禁止宣言の中で「原水爆を使う者は悪魔でありサタンである」と言われている。「この思想を、世界の人々に伝えていく(趣旨)」と言われている。Youtubeの動画を観ればよく分かる。

 

それがどうして、創価学会は原子爆弾兵器をなくそう運動になるのだ! 東京は、一日で10万人以上も焼夷弾(通常兵器)等で死んだんだぞ。池田大作のバカさである。国連、国連と言って、中国にだまされたか、ロシアにだまされたか?自分が偉く思われたかったか。第六天の魔王に負けた姿である。

 

戸田城聖先生は、人の生命の変革を訴えられているでは無いか!

 

戸田城聖先生は、生命論の出だしで、

 『わが国の神道が超国家主義、全体主義に利用されて、遂には無暴なる太平洋戦争にまで、発展して行った時に、私は恩師故牧ロ常三郎先生及び親愛なる同志と共に、当時の宗教政策の甚だ非なることを力説した。即ち日本国民に、神社の礼拝を強制することの非論理的、非道徳的所以を説いたのであるが、そのために昭和十八年の夏弾圧されて、爾来(じらい)二カ年の拘置所生活を送ったのであった。』

拘置所生活を送られた戸田城聖先生でさえ、このように言われ、歴史を正しく認識されていたことが分かる。

 

池田大作が書いた、若しくは、ゴーストライターが書いたとしても、それを聖教新聞紙上で出したならば責任があろう。

 

 小説というものではあるが、戸田城聖先生なら小説であっても絶対上のような事は書かない。しかも、日蓮大聖人の御書にはないことまで書いている。

 

例えば、

 

ちょっと疲れた。嫌になる。