小さい頃の座談会の思い出
私が、小学校六年生頃から出席していたと思う座談会では、様々な人(障害者も)がいて、今では考えられないような、プライバシーなんかない、あけっぴろげの涙あり笑いありの体験談ばかりであった。ちょうど、戸田城聖先生の質問会(Youtubeだと雰囲気が分かりやすい)のようであったことを覚えている。
母と一緒に出席していた座談会は、いやいや出席していたが(その頃はTVを見たかったからだと思う。野球中継やプロレス等)今思えばとても楽しい時間であった。(当時)大B長(今は地区部長かな?)の御書講義の前に話す母の一言はいつも子供心に感動していた。座談会に集まってこられる方々も楽しんでおられたように思う。
世間では貧乏人、病人の集まりと言われていたようであるが、なんのなんの、世間の人達より幸せであったと思っている。
今ではお金がなくても幸せにはなれると自信を持っている。(自慢にはならんが)
母は、小さい頃の体験を、私に、よく話してくれた。
母が話すのは、小さい頃、母の父(私の義理の祖父)から「困ったときには南無妙法蓮華経を唱えなさい」と言われていたらしい。
ある時母が川で溺れたそうである。沈んだ川の中から川の水面を見て、死ぬのかなと思った時に、母の父が言っていたことを思い出し、南無妙法蓮華経と誦したそうである。そしたら何かをつかんだか、誰かが助けてくれたか、助かったそうである。
この話を何度も話してくれた。(聞かされた?)
その頃の母の実家は日蓮宗であった。私の父の実家も日蓮宗であった。途中で日蓮正宗に改宗したが、母は日蓮宗と日蓮正宗の違いはどうでも良かった。南無妙法蓮華経の読誦が大事であった、と思う。
我が家がなぜ創価学会に入り日蓮正宗に入ったかは、戦争で満州から帰ってきた叔母が、散々な目に遭って帰ってきたようだ。その叔母から祖母が折伏されたようで、信仰が間違っていたらしいと家族に話したようで、叔母に勧められるまま創価学会に入り日蓮正宗に改宗したようである。