創価学会会長 戸田城聖講述
                      創価学会教学部教授 多田省吾編集

日蓮正宗 方便品寿量品精解
         東京精文館発行

       

 法華経といえば一部八巻二十八品であるが、講義するにも講義を受けるにも、法華経の講義ほどむずかしいものはない。それは法華経が釈迦一代五十年の説法の真髄であり、随自意・難信難解の正法である点にもあるが、さらに困難なのは次のような理由による。


 本迹二門・二十八品の中に説き示すところは、迹門は諸法実相に約して理の一念三千を説き、本門は因果国に約して事の一念三千を説くのであるが、末法の御本仏・日蓮大聖人の御立場から読む法華経は、本迹二門・二十八品ともに迹となり脱となる。而して本門寿量品文底下種の三大秘法が唯一の直達正観・事行の一念三千の正法となるのである。


 これを釈迦滅後の教法流布の先後からみれば、正法時代の前五百年は小乗教、後五百年は権大乗教が流布し、像法時代に入って天台大師が玄義・文句・止観の三大部を述べて、あらゆる角度から法華経を解釈し弘通した。しかし、これも文上の理の一念三千であって真実の事行の一念三千の法華経ではなかった。


 釈迦滅後二千年以後の末法に入り、日蓮大聖人が御出現遊ばされて南無妙法蓮華経の大御本尊を御建立遊ばされた。この大御本尊こそ日蓮大聖人の出世の御本懐であり、あらゆる諸仏諸経の能生の根源であらせられる。

 

 故に我等の信心し奉るは全くこの大御本尊にあり、決して法華経や方便品や寿量品を信心しているのではない。

 

 然らば信心する我等の修行はどうかといえば、正行には題目・助行に方便品寿量品を読誦するのである。而して方便品は所破・借文の為、寿量品は所破・所用の為に読誦することになる。故にこの講義に当っては、権実・本迹・種脱の相対はもとより体内体外・文上文底・総別の二義等あらゆる点から思索して行かなければならない。


 古来法華経の講義をなした人は数え切れないであろう。しかし像法時代には天台に及ぶ者がある筈はなかった。今既に末法に入り、当然宗祖大聖人の仏法を根幹として講じなければならない法華経を、世人は未だに天台流の講釈をくりかえしている。実に仏法濁乱の根源ともいうべきである。


 ひとり日蓮正宗富士大石寺のみは、正しく宗祖大聖人の御正義を伝承してきている。余は会長就任以来七年余にわたり、一級講義として両品の真実の意義をくりかえし講述してきたが、玆(ここ)にその大要をまとめ、多田省吾君に編集を任せて公刊の運びとなつた。


 会員諸氏は、よろしく本書を手にして、真実の法華経を把握されんことを願うものである。

   昭和三十三年二月七日
                     創価学会会長   戸田城聖