第七回総会(午後)(昭和二十七年十二月七日 東京・中央大学講堂)


この世に遊びにきたわれわれ


 こうして会いますれば、分室でいろいろとご相談を受けたみなさまとしか思えないのであります。毎日、多いときで五十人の人に会えても、年に一万五千人しか会えませんから、ここで親しくお話しいたしたいと思います。


 ただいま、地区部長はじめ、班長、組長、組員もおられるが、願わくは、ぜんぶの人に組長になってもらいたいのであります。組長は班長に、班長は地区部長になってもらいたい。なぜならば、あなた方にとっての名誉であり、かならず幸福生活をなしうるからであります。


 大宇宙は南無妙法蓮華経であり、また、あなた方も、南無妙法蓮華経の当体でありながら、みなそれぞれ差別のところに生きているのであり、仏です。


 覚えていただきたいことは、なぜ人間に生まれてきたか。簡単なようで、しっくりとしない問題でありますが、あなた方はこの世に遊びにきたのです。遊ばないで、病気をしたり、夫婦げんかをしたり、忙しい、忙しいと目の色を変えていることは、見当が狂っているといえるのであります。


 会社へ行くのも楽しみであり、女房にしがられること、亭主にしがられることも、楽しくならなければならないのであります。遊ぶことの第一は、あまいしるこに、砂糖と塩がなければなりません。塩の程度の苦労がなければ、真のしあわせも感じられないのです。あなた方は、塩のほうが過ぎるのです。


 折伏せよということは、また信心をしっかりすることは、学会、国家のためのように聞こえるが、再往は、あなた方自身のためなのであります。


 戸田も、折伏してくれれば喜ぶ。喜ぶということは、十五人なら十五人、救われたと思うから、また折伏した人が功徳あると思うから喜ぶのです。折伏して、御本尊様より救われるのであります。わたくしのところにいくらこられても、「信心しなさい、折伏しなさい」というだけです。


 問題が起こったとき、わたくしのところへ行こうと思ったら、御本尊様に向かって題目を唱えなさい。それによって智慧がわき、力がわき、宿命の転換が行われるのであります。


 「若し懴悔せんと欲せば 端坐して実相を思え 衆罪は霜露の如し 慧日能く消除す」(妙法蓮華経並開結七一一㌻)とのおことばのごとく、悪い、悲しまなければならぬ宿命を、楽しみに変えることができるのであります。遊びにきたのだと悟り、南無妙法蓮華経と唱えるとき、世の中はじつに楽しみとなるのであります。


 悩みある人は、一年間、真剣に信心して、来年のきょうまで変わらなかったら、わたくしの命をやるというのですから、しっかりやっていただきたい。
               (昭和二十七年十二月七日 東京・中央大学講堂)

 

 

 

 

十二月度幹部会(昭和二十七年十二月二十四日 東京・神田の教育会館)



 本日のこの盛大な幹部会をもって、二十七年度は終わり、さらに来年度の大闘争に備えて、どの支部も、蒲田支部の闘争に劣らぬよう、十分に力量を発揮してもらいたい。
 願わくは、みなさんご自身のために、大御本尊様へのご用を果たして、大功徳を受け、組長は班長に、班長は大班長、地区部長にまでなってもらいたい。
             (昭和二十七年十二月二十四日 東京・神田の教育会館)