第七回総会(午前)(昭和二十七年十二月七日 東京・中央大学講堂)


絶対の信心に立て


 開目抄下に
「詮ずるところは天もすて給え諸難にもあえ身命を期とせん、身子が六十劫の菩薩の行を退せし乞眼の婆羅門の責を堪えざるゆへ、久遠大通の者の三五の塵をふる悪知識に値うゆへなり、善に付け悪につけ法華経をすつるは地獄の業なるべし、大願を立てん日本国の位をゆづらむ、法華経をすてて観経等について後生をごせよ、父母の頸を刎ん念仏申さずば、なんどの種種の大難・出来すとも智者に我義やぶられずば用いじとなり、其の外の大難・風の前の塵なるべし、我日本の柱とならむ我日本の眼目とならむ我日本の大船とならむ等とちかいし願やぶるべからず」(御書全集二三二㌻)


と、日蓮大聖人様がおおせられているが、「詮ずるところは天もすて給え諸難にもあえ身命を期とせん」これほど強く、日蓮大聖人様がわれわれ末法の衆生を救われんためのご確信であられる。


 いま、われわれは、正宗の信者として、御本尊様にお目通りし、わが心とし、仏にご恩を報じなければならない。
 ひとり残らず功徳をいただき、この歓喜を、人類の幸福のために、断固として尽くされんことを願う。


 いまここに、悩みある人がおれば、五座三座の勤行をし、一年間折伏を続け、それでも悩みの解決しないとすれば、わたくしがこの身命を捧げよう。


 みなさまも、わたくしに負けぬよう、絶対の信心に立ち、折伏に邁進していかれますよう望みます。
                  (昭和二十七年十二月七日 東京・中央大学講堂)