牧口初代会長九回忌法要(昭和二十七年十一月十八日 東京・常在寺)

十年期して世界に価値論を

 わたくしが、牧口先生のことを申しあげると、止まることがなくなる。なぜなれば、そのころ叱られていた連中の大将ですから。新しい連中は、オヤジと呼んでいた。わたくしと先生の仲は、親子といおうか、師弟といおうか、くみきれないものがある。


 わたくしは、先生のほんとうのものを知っていた。ほかのものは知らなかった。わたくしは「いまに先生は死ぬんだ。そのとき、牧口先生と会っていたことが、自慢になる時期がくるんだ。はっきり信心しなさい」と言っていた。そしていま、そのとおり門下生の誇りになっている。


 御本尊様を信じているといいながら、一家に災難がくると、すぐ退転する。いまもそうであるが、弾圧のときは、一門ことごとく足並みを乱した。
 七月四日に牢から帰ってきたときの、わたくしの憤激はいかばかりであったか。わたくしは、先生の獄死を一月八日に知った。それまでわたくしは、先生が一日も早く帰られるように、獄中で題目をあげていたのである。


 その先生が死なれたとき、小林君が牢のなかからご遺骸を背負って帰った。葬式には、牧口先生の門下生はひとりもいない。わずかに戸田門下の森重紀美子さんだけだった。これを聞いたときの憤激はなんともいえぬ。


 これをもって考えると、負け戦についてくることは、じつにむずかしい。いずれわたくしが倒れるかもしれぬ。これに対する覚悟はやさしい。しかし、実行はむずかしいのです。わたくしは、恩師に対して、子として仕えきる覚悟です。


 わたくしと先生はまったく違う。先生は理論の面から、御本尊様を信じきっていた。わたくしは、功徳の面で信じている。わたくしはある体験から、絶対の功徳を信じ、日蓮正宗のために命を捧げるものです。先生は謹厳そのもので、わたくしは世の中をふざけて生きている。先生は謹直で、わたくしはルーズだし、先生は目白に、わたくしは目黒に住んでいる。
 先生はひじょうな勉強家で、わたくしはさっぱり勉強せぬ。先生は飲まないし、わたくしは大酒飲みです。これだけ、まったく正反対の性格でありながら、先生とわたくしは境地がピッタリ一致していた。


 わたくしの思想内容は、先生からたくさんいただいている。来年までに、価値論を検討しきって、先生滅後十年を期して、世界の各大学へ、この価値論を送る。

 このように、親子師弟の間は深いものであるから、諸君は怨嫉謗法をしてはいけません。先生のことをいおうとすれば数限りないが、これだけ簡単に述べて終わりとする。
                     (昭和二十七年十一月十八日 東京・常在寺)