蒲田支部第二回総会(昭和二十七年十月十二日 東京・妙光寺)


成仏の境涯を体得せよ


 信心をして、病気がなおった、やれ夫婦げんかをしなくなったとか、子どもが良くなった等の、ご利益をいただいた体験は聞くが、これらはほんの小さな功徳にすぎぬものである。これについて、きょうはすごい功徳を話すことにする。


 われわれはこの世に生命を受けて生きているが、けっして今世だけの生命ではない。過去、現在、来世にわたって、三世の生命を体得するのである。


 今世で死すとも、また生まれてくる。半年、一年ぐらい信仰し、やっと自分の心にだけわかったというのでなく、ほんとうに自分のものとして消化し、これを信じきれるやいなや、ということが問題である。


 現世において貧乏であり、また商売をやってもよくいかぬ。からだが弱くて病気つづきであるとか、不幸をみつめながら、自分の身を不幸とは思わず、生命の永遠さも体得せぬものは、現世の生命そのままを、来世に持続していくのである。


 そこで、その貧乏を、その不幸を、幸福な状態にもっていく、これを成仏という。そのためには、御本尊様をよくみつめて、真剣に取り組むよりほかにない。死ぬまで強固な信心をしつづけることである。成仏の境涯を、死ぬまでかかってつかむことである。この境涯は、永劫にわたりつづくものなのである。


 願わくは、それぞれの立場において、自分の宿命、不幸をよくみつめ、成仏の功徳をはっきりつかんで死ぬことができるよう願うものである。
              (昭和二十七年十月十二日 東京・妙光寺)