牧口初代会長八回忌法要(昭和二十六年十一月十八日 東京・中野歓喜寮)


牧口先生八回忌に
 

 恩師牧口先生のために、かくも大勢お集まりくださいましたことを、厚く御礼申しあげます。本日の八回忌はうれしいのです。といいますのは、小原君自身がすすんでやられたことであります。


 縁の不思議についてお話しいたしますれば、わたくしが北海道より、苦学に東京へ出ようと決心しましたのは、十八のときでした。

 当時、下宿料は十八円で、郵便局勤めではどうにもならず、教員になろうと思い、紹介状をもらって、先生にお目にかかりました。先生は校長で、そこの代用教員として、ひじょうに迷惑をおかけしながらも、わたくしをかわいがってくださいました。

 学校には先生の味方はなく、幹部連はぜんぶ反牧口だったのです。

 そのとき、先生は四十九、わたくしは二十で、親であり、師であり、主人と思ってまいり、牢に入るときに顔を見合わせて別れたきりであります。


 思えば、過去以来、深い因縁ありと思うのであります。わたくしは先生の財産をぜんぶもらったのです。うそだと思うなら、ごらんなさい。支部長諸君をはじめ、柏原、和泉覚君、ミヨ夫人、および学会幹部は、みな牧口門下ではありませんか。今後、わたくしの財産は、学会育ちの子に伝わってゆくのであります。


 日蓮正宗滅びんとしているときに立ったみなさまの福運は大きいのです。御本尊様を信じ、功徳を受けようではありませんか。
 

               (昭和二十六年十一月十八日 東京・中野歓喜寮)