第五回総会(午後)(昭和二十五年十一月十二日 東京・神田の教育会館)
広宣流布は仏勅
広宣流布は、仏意であり、仏勅であります。われわれ凡夫の力をもってして、これを左右することなど、絶対にできないのでありまして、仏意にあらずんば、絶対に不可能であります。
さりながら、日蓮大聖人様の御書を拝しますときに、三大秘法は、日蓮大聖人様出世の御本懐であらせられる。まず日蓮大聖人様は、佐渡以前にお題目を唱え出されました。ついで御本尊様をお顕しになり、弘安二年には一閲浮提総与の大御本尊様をお遺しになりました。が、しかし、本門の戒壇は、まだ建立せられず、現在にいたっております。それこそ、末代に遺された仏勅といわなくて、なんでありましょう。
われわれ、真のお題目を唱えたてまつるものにとって、これこそ重大使命であり、仏勅であります。
たとえいかなる大難にあおうとも、ひとたび題目を唱えたならば、水をのみ、草の根をかみ、そのために死ぬる日があろうとも、命のあらんかぎり、諸君とともともに、広宣流布をめざして邁進いたしたい。これこそ、わたくしの唯一無上の願いであります。
(昭和二十五年十一月十二日 東京・神田の教育会館)