第三回総会(午後)(昭和二十三年十月十七日 東京・神田の教育会館)
民族復興の道
民族が復興するには、かならず哲学が必要である。哲学はまた、実践をともなわなければならない。実践のない哲学は、観念の遊戯にすぎないのです。
戦時中、神道を強制して大失敗をしたわが国は、終戦後、いかなる哲学と道徳をもって復興すればよいのか。世間をごまかした邪宗教や、破壊的な共産主義思想がはびこっている現在、わが創価学会は、偉大な日蓮正宗の哲学を身に帯して実践し、祖国の復興に寄与しなければならないのであります。
日蓮正宗信者の各位は、その分に応じて努力しておられるが,
まだまだ、なまぬるいものであり、時代の先覚者というものは、殺されようが、焼かれようが、決然としてつき進む覚悟が必要なのであります。
もとより、その時代が必要としないものは、努力してもむだであり、いまの世の中に、鎧、兜の広まるわけがありません。ところが戦時中に、もんぺが期せずして広まったごとく、その時代の国民生活に必要なものが現れたなら、かならず広まらなくてはならないのです。
戦いに敗れたわが国が、真に道義と平和を愛好する民族として再起するためには、正しい宗教と正しい思想を根底において、そのうえに政治、経済、文化等を打ち立てなければならないことはいうまでもありませんが、この欲求をみたしうるものが、わが日蓮正宗の哲学であり、その根本が大御本尊様なのであります。
かかる意義深い大御本尊様が、わが国に厳存しているにもかかわらず、多くの日本人は、ほとんどこれを知りません。われわれ学会員は、かかる不憫と煩悶の時代にあって、たとえ命を捨てることがあろうとも、親と妻子を捨てなければならない事件がおきようとも、はたのものが退転しようとやめようと、その屍をのりこえて、決然として進もう。
これこそ、唯一無上の学会の大使命であります。この大使命をもって、わたくしとともに進もうではありませんか。
この固い決心のないものは、いますぐにでも学会を去るべし。われらは、いよいよ信心強盛にして、その屍をのりこえて進むのみ。
(昭和二十三年十月十七日 東京・神田の教育会館)