牧口初代会長三回忌法要(昭和二十一年十一月十七日 東京・神田の教育会館)


牧口先生三回忌に
 

 思い出しますれば、昭和十八年九月、あなたが警視庁から拘置所へ行かれるときが、最後のお別れでございました。
 「先生、お丈夫で」と申しあげるのが、わたくしのせいいっぱいでございました。


 あなたはご返事もなくうなずかれた、あのお姿、あのお目には、無限の慈愛と勇気を感じました。


 わたくしも後をおうて巣鴨にまいりましたが、朝夕、あなたはご老体ゆえ、どうか一日も早く世間へ帰られますように、御本尊様にお祈りいたしましたが、わたくしの信心いまだいたらず、また仏慧の広大無辺にもやあらん、昭和二十年一月八日、判事より、あなたが霊鷲山へお立ちになったことを聞いたときの悲しさ。杖を失い、燈を失った心の寂しさ。夜ごと夜ごと、あなたを偲んでは、わたくしは泣きぬれたのでございます。


 あなたの慈悲の広大無辺は、わたくしを牢獄まで連れていってくださいました。そのおかげで、「在在諸仏土・常与師倶生」と、妙法蓮華経の一句を身をもって読み、その功徳で、地涌の菩薩の本事を知り、法華経の意味をかすかながらも身読することができました。なんたるしあわせでございましょうか。


 創価教育学会の盛んなりしころ、わたくしはあなたの後継者たることをいとい、さきに寺坂陽三君を推し、のちに神尾武雄君を推して、あなたの学説の後継者たらしめんとし、野島辰次氏を副理事長として学会を総括せしめ、わたくしはその列外に出ようとした不肖の弟子でございます。お許しくださいませ。

 

 しかし、この不肖の子、不肖の弟子も、二か年間の牢獄生活に、御仏を拝したてまつりては、この愚鈍の身も、広宣流布のために、一生涯を捨てるの決心をいたしました。ごらんくださいませ。不才愚鈍の身ではありますが、あなたの志を継いで、学会の使命をまっとうし、霊鷲山会にてお目にかかるの日には、かならずやおほめにあずかる決心でございます。


           謹書  弟子城聖申す。
 

(昭和二十一年十一月十七日 東京・神田の教育会館)