③不動信仰

 最新型タクシーの運転台に、「成田山」のお守り札がぶらさがっているのは、誰でもよく見かけるところである。
「そのお札は効き目があるかね」
「いやあ、会社でつけてくれるんでね。別に信じているわけじゃないですがね」
という具合に「交通安全」のお守札は成田山が幅をきかしている。


 戦時中は、「戦勝祈願」で年間二千五百万の参詣があったという。戦争に負けた昭和二十三年にはパッタリと滅って三十万、さすがに効き目のないのに気がついたらしい。ところが最近では再び四百万、今はもっばら交通安全と商売繁昌へと平和的に転向というわけであるが、交通事故は減るどころか年年増加、お守り札の売れ行きと比例している。


 この成田山の本尊は不動明王とされているのだが、本当に不動明王が、一体いつから交通安全を引きうけたのだろうか。
 成田山のお守札の由来をみると、江戸時代に成田山仁王門の修復があった。そのとき大工の辰五郎が五丈余の足場から落ちたが、体につけていた成田山の門鑑(通行証)が割れただけで助かった。いらい、この門鑑を形どってお守札としたという。まったくの迷信である。
 

 薄い杉の柾目板だから、ちよっとしたはずみで割れる。割れれば「お不動さまが身代りになって助かったのだ」とありがたがる。こうして売れるお守りが、年にざっと百二十万枚というから恐るべきである。成田山に限らず、どこの不動さまも、祈禱札、お守札が売り物である。
 

 不動信仰につきものは護摩である。一回二百円、大護摩となると二千円以上もする。この護摩修法はもとを正せば印度の外道バラモンの修法やこれを真言宗が密教の修法としてとり入れたが、真言の敵国調伏の祈禱で、かえって身を滅した史実は実に多い。「真言亡国」といわれるゆえんである。この護摩も成田山あたりでは年間七十万枚、芸能人や力士の年男を傭って派手な節分の豆まき、電車広告に懸命な理由もよくわかる。
 その他、災難よけ、商売繁昌、病気平癒の祈禱を看板にした不動が各地にある。目黒不動、大岩山不動、波切不動等々。こうした不動を祀ってあるのは多くは天台・真言宗の邪宗教が多い。
 

 内容はどれも俗受けのする霊験話、伝説で飾りたてられたものばかり、教義も何もない迷信である。不動はもとはインドの神様で仏法守護の明王として生死即涅槃を表示しておるもので、本当に不動明王の加護を望むなら正しい仏法を持つ以外にない。