(七)、道徳科學(モラロジー)

 道徳科学研究所を中心にした「最高道徳」というのがある。この教えは所詮五人がとく道徳律を原理として、それを最高と称し、創始者である広池千九郎は、これは宗教でないと主張している。その五人(五聖人という)とは、日本の天照大神、支那の孔子、印度の釈迦、ユダヤのイエスキリスト、ギリシャのソクラテスであり、その実行の方法や結果を人類の歴史と社会学的資料と、現代の自然科学の原理に照らし合せて学問的に体系づけたものだと称している。こんなことが、案外科学の看板に惚れこむ現代人には好かれるらしい。

                     
 しかし世界の五聖人といっている、これらの人々の思想を統一してみれば、自己顕現を説き、自我の主張であり、封建思想の打破を目指しているが、それにも程度の上で天地の相違がある。モラロジーの主張する中心思想は「自我没却」ということであり、叫ぶ言葉は「忠誠努力して欲求せず」とか「慈悲・寛大・自己反省」である。無我の愛をもって他人を救済し、かつ一切を自己に反省するということを第一の条件とするこの説は、聖人の教えとはおよそ別ものだ。このように哲学的にみても、その説くところは同一ではない。

 

 一例をあげれば、モラロジーはちようど小乗仏教の二乗の「灰身滅智」や但空の思想に通ずる、遠視眼的観念哲学であり、実際には、成就しえない低級なニセ人格者を作ろうとしているという以外にない。