三、先祖からの宗教をすてるわけ

 先祖から伝わってきた自分の家の宗教といえば、念仏をとなえる浄土宗、浄土真宗(門徒)、または真言宗、禅宗、または身延、中山、池上等の日蓮宗で、たまに神道の家もある。
 

 釈迦は涅槃経の中で「天神地祇を拝せざれ、魔界外道を敬喜せざれ、星辰占察をなさざれ」といって、仏教以外は全部人をすくう力をもたず、結局は不幸のもとであるから全部すててしまわねばならぬといっている。


 実際に神道には何の教えらしいものもなく、神主の家など決して幸福な生活をしていない。代々、浄土宗、真宗、禅宗、真言宗の寺の檀家総代をしている家は家族に病人がたえなかったり、死ぬ人が続いたりしたあげく、どんな財産家も三、四代もするとつぶれているのが多い。仏教各派が釈尊の教えと違ったことを教えていることや、いわゆる日蓮宗が日蓮大聖人の御教義と違反していることは、別の項目で説き尽されているからここでは教義のことは省略するが、俗にいう日蓮宗を代々やっていると家族に不具者ができたり、頭脳のたりない子供が生れたり、はては発狂する者ができたりして、四代法華、五代法華と誇っている家ほど悲惨な生活をしているのである。

 

 このようにして先祖代々の宗教は皆人を不幸にする力をもっている故に、すてなければならないのである。もともと我々の先祖もこういう色々な宗教が悪いということを気づかずに最初の小さな功徳らしいものに魅惑されて入信したのであり、その中に少しづつ邪宗の毒がまわって家に不幸な事件が出てきても、これが自分のもっている宗教のせいだとは考えることを知らなかったのである。
 

 結局先祖も我々と同様、宗教に関しては何の知識をもたず、宗教が自分の生活を左右する大きな力をもつものだということを知らなかったのである。


 また前にのべたように最初入信の動機は何か御利益がほしくて入ったか、でなければ他の土地からうつってきて家族が死んだ場合、葬式を出す都合上、墓を定める都合上、今の宗教に入ったのであろう。よって先祖からの宗教が邪宗とわかったらすぐすてるベきである。先祖伝来でも悪かったならすぐすてるのが本当に自分が救われ、幸福を生む生命力を確立する第一歩であり、
これによって先祖に対する本当の供養にもなるのであるから、きっぱり思い切ってしまうことが先祖に対する真の孝養でもあるのである。


 親がよくないことを続けているのを見て放っておくならばその子は親不孝である。親がわるいものにつかまっているのを知って自分もそれに加担したならば更に大きな親不孝である。親子そろって悪道に堕ちて苦しむのみである。この理合いは我々と先祖との間にもちょうどあてはまるのである。

 

 先祖は邪宗教のために死後も苦しみの境涯に堕ちてぬけ出られないのである。これを知って放っておくならば自分も同じ境涯におちるのは理の当然である。
 

 まず自分が救われ強くなり、そこではじめて先祖をも救い上げる方法と力とを持つことができるのである。これが本当の人間の進むベき道であるから、先祖伝来の宗教はすぐすてなければならないのは当然のことである。日蓮正宗以外は全部人間を悪道におとす悪い力をもつものであることは、別の項目ではっきり論じられているごとくである。これを知った上は一日も早く先祖
からの宗教を捨てることこそ、急務であるといえるのである。