二、一番よいというわけは

 十円しか知らない者と百円しか知らない者とが、千円を知った時は十円や百円では満足できない。同様に幽霊本尊や骨董的本尊、偽札本尊しか知らなかった者が真の本尊にあったなら、前ので満足するはずがない。その場合は一番いいとの感情だけではすまされず、今までのにだまされた口惜しさで次善以下がみんな憎らしくなる。しかも次善に対するほど憎悪の情はつのる。
 

 これが我々の生活感情で、宗教をいざ自分が取りいれる段になると、何でもいいというわけにはいかなくなる。
 

 今、世界といわず国家といわず社会も家庭も個人も、物心不二の根本原理を知らないために悩み苦しみもがいている。あらゆるものが相争い、ここから多くの不幸や悲劇が起る。政治家や革命家、教育家、宗教家等がこれを解消しようとあらゆる手段方法を講じているが、教えはいたずらに崇高でありながら実際は夫婦間のいざこざ一つ直せない状態にある。従ってこれを解決で
きる教えこそ唯一無二のものであると断言できるわけで、それに応えるものは日蓮正宗に伝わる大白法よりほかにはない。