第二節 三種の法華経
釈迦一代の仏教を通観するのに阿含部・方等部・般若部・華厳部・法華部と五時代に説かれた経典中、法華経が最高第一であることは世界の学者が、誰人もいなむ所のものではない。この故に釈迦仏法の滅した今日においても、法華経というとこの法華経以外にないと思いこんでいる。
釈迦の法華経は在世二十八品の法華経といって、末法今日においては経力を失ったものである。
次に釈迦仏法の中に像法時代の法華経がある。これは天台大師の摩詞止観で理の一念三千とも像法時の法華経ともいうのである。
又末法の法華経とは事の一念三千とも又文底秘沈の法華経とも申し、日蓮大聖人の七文字の「南無妙法蓮華経」を末法の法華経と申しあげるのである。
しかして前時代の仏教は後時代の民衆には関係はないが、前時代と後時代の仏同志の間には関係がある。これを混同してはならない。
正法の仏である釈迦は自分の仏法が仏力・法力を失つた時の民衆をあわれんで、そのとき出現の仏を正法の法華経たる二十八品を中心として予言しているのである。されば末法の民衆に直接の利益の面に関係なしとはいえ、末法の仏が出現する予言者としては立派に価値があるのである。
又像法の仏・天台大師は理の一念三千の法門を説いて、末法の仏の事の一念三千の法門を理論的立場において助けている。これは末法の民衆が大切な自分たちの本仏を信じなくては大変だと思って、その理論の証明をなしているのである。