戸田城聖全集質問会編 239 子供が後頭部に傷をうけ脳に障害

 

〔質問〕 生後一年三か月の子供が、後頭部に傷をうけ、それがだんだん大きくなって。なにか脳へ影響しているらしく、ひじょうに知能が遅れ、からだもグニャグニャで、マヒしているのです。信心の力でなおるでしょうか。主人は信心していません。

 

 いまから四年くらい前に、大阪へ行きましたとき、その子は、頭はむしろ利口なくらいでしたが、からだがぜんぜんきかないのです。その子が去年の秋、そうとうにじょうぶになったと、礼にこられましたが、あなたの場合は、それをなおすにはたいへんです。

 まず、ご主人も、いっしょに信心しなければなりません。夫婦で、真剣に信心をして、一年目なら一年目にきてもらう以外にないです。ご主人が、御本尊を誹謗するようでは、おそらくは死にもしない、なおりもしないという状態がつづくのではないでしょうか。夫婦そろって、一生懸命やりなさい。そうすれば、いつもいっているとおり、原則どおりです。なおらなければ死にますし、死ななければなおります。どっちつかずの状態で、困らせることはありません。なおるか、死ぬかです。死んでもすぐ出てくる、じょうぶになって生まれてきます。

 こういう話があるのです。私は、もう何べんもこの話をしたのですが、私が牢から帰ってきて、三世の生命ということをいいだしたのです。それまで学会では、三世の生命論を知らないから信用しないのです。いまの科学の人たちは、また生まれてくるというと「そんなばかな話なんて、迷信だ」というのです。

 ところが、本間という人の座談会へいったら、七十いくつのおばあさんが「先生、それはもっともだ」というのです。私のほうが驚きました。だれに話しても、反対ばかりされている、それに賛成者がでた、しかも無学文盲のおばあさんです。

 そこで、私のほうから質問したのです。「いったい、あなたは、なんで、それがわかっているのですか」と。そうしたら、じつはうちの村に、長太郎というばか(・・)がいた。そのばかが死んだときに、だれがいたずらしたものか、手のひらに、南無妙法蓮華経と書いたというのです。そしたら隣村の村長さんの家に、その子供が生まれたというのです。手にきちんと南無妙法蓮華経と書いてあるというのです。それでひじょうに利口な子で、今度はばかではないのです。そして、たいへんじょうぶだったのです。それで、みな「あれが長太郎の生まれ変わりだ」というものですから、村中知らないものはないという。「私は、その人を見ているから、先生のいうことを信用する」というのです。

 だから、たまにそういうことに出くわしたから、わかったのでしょう。が、法華経の哲理からいきますれば、法華経に縁を結んで、この世でなおらない状態の人がいるでしょう。生きていても、どうにもならない人がいるでしょう。そういう場合には、一応、大宇宙の生命にもどるのです。この法華経の結縁によって、きれいに罪が洗われて、りっぱなからだと、すがすがしい心で生まれてくるのです。

 ところが、早く死ねばいいと御本尊に願っていると、いつまでも死なないのです。それは不思議なのです。「どうしてもなおしてやりたい」という一念で御本尊にすがれば、裏と表とどちらがでるかは知りませんが、それは、きちんと現れます。それは御法の力なのです。

 だから、親は夫婦そろって、かならず、一生懸命になおそうという心で信心しなくてはなりません。八卦(はっけ)ではないのですから、子供をおぶってきて、「この子はなおりますか」ときかれても、返事するわけにはいきません。

 仏法哲理に照らしてみる以外に方法はないのだから、父親がガタガタいっているようではなおせるものかと、私は思います。