戸田城聖全集質問会編 179 行商が思わしくない
〔質問〕 入信して一年十か月。自分ではしっかりした信心をしているつもりですが、生活がますます、まずくなってきています。商売はふとんの行商をしていますが、どのようにしたらよいでしょうか。
商売はしっかりやっているのですか。それでは、その貧乏な人の話をすると、こうなのです。その人は、いまのようなことをしょっちゅういってきたのです。そして、しまいには夜逃げをしてしまったのです。その人をそれで私がよく記憶しているのです。一年前に思いだして、その人いったいどうなった、と聞いたのです。ところが、家を建てて電話ひいているのです。おどろきました。絶対に、そんなふうになりそうもない人だったのです。ところが、しょっちゅうきて、いまのようなことをいっていたのです。「信心はきちんとやっています。折伏もしています。商売がうまくありません。御本尊が悪いのでしょうか」といっていた。
それが、六年か七年目に、私が聞いたときには、きちんと成功しているのです。これは、いつも申しますように、なかなか時間がかかるのです。なぜかと申しますと、南無妙法蓮華経という、ほんとうの御本尊様を、われわれが受けたということは、われわれの心田に仏種を植えたことなのです。いわゆる下種、種を植えたのだから下種というのです。
これだけの畠に、一つの種を植えたのです。その種が、育って大きい木になれば、今度は、実が年に百なら百なるとします。果物が一つ十万円で売れるとします。百売れて、十万円なら一千万円です。そういう大木を植えたのです。心田にまだ実はならない、その時にどうします。大きくなるまで、草をとったり、あるいは水をやったり、肥料をやったりするのがあたりまえで
しょう。そこでわれわれの田や畠を梵天帝釈をはじめぜんぶが守るのです。
経済難などに絶対させるはずがないのです。そうして、今度はだんだんと守っていくのですから、だんだんとこの芽が育っていって、木の実がなるというふうになりますれば、願わずとも、金はでてくるのです。そうなるまで待つ以外にないのです。
その間は、梵天帝釈は守りますから。暮らすだけのことができないわけはありません。身延 ではあるまいし、そんな御本尊を私はすすめません。それはなにかおかしなことがあるのです。私はあなたの信心を信じてはいません。そんなばかなことがあるものですか。一年十か月も信心して、どうにもならなくて、どうしましょうか。などと泣きごとをいうような御本尊様を渡してはありません。信心の仕方が違っているのです。
早くいえば、班長だとか、地区部長だとか、組長だとかいう者の批判をしたり、あるいはいろいろなことをいったりしているか、さもなければ、しっかり御本尊様を拝んでないか、商売をしっかりしていないかなのです。そんな御本尊様をあなた方に渡してはおりません。自分でよく反省してごらんなさい。一年十か月も信心して、梵天帝釈が来てたすけないような御本尊様は、絶対渡してはありません。