戸田城聖全集質問会編 166 共同事業について
〔質問〕 信心している者同士が、共同事業をしてはいけないといわれましたが、広宣流布の時になると、同志ばかりになってしまう。その時には、商売はみな共同事業になりはしないでしょうか。
そういう理屈は別にして、この共同事業というのは、初代の会長牧口先生が、よく私にいわれました。損をしたときに、その損をなすりつけ合い、もうかったときには、余分にとりたがる。かならず畜生根性があらわれると、よく話しておられました。
ですから共同事業をやって、もうかると、自分がほしくなるし、損すると、あのヤロウが悪いのだからと、押しつけようとするのです。そして、かならず仲間がこわれます。まあ、会社のようなかたちに変わった共同事業は別にしましても、いままでの個人の共同事業というものは、かならずおたがいになすりあう、これが、じつにみっともないのです。これは、その人の幸福にもならないから、共同事業などはせずに、自分で力をだしてやるように教えておいたのです。
だが、共同事業をやっても、そんなことがないとなったら、やってもいいのです。ただ、やってもいいというと、おれも共同事業をやろうなどと、ろくなことをやりだしかねない。弱い人は、みなだまっていて、だまされた人は、あとでブーブーいう。ですから共同事業はやるなと、こういったのです。これは一往のたてまえです。
再往は、美しい心のある人間が、ほんとうにそんなことをしないという友だちがいて、いざやるというなら、やってもいいのです。成功してごらんなさい。ただ原理は、損をすればなすりつける、得をすれば取りたがる、という人間根性のあるうちは、まずやらないほうが無難だろうと、こう教えたのです。「やるな」などという法律はこしらえていません。学会には、そんな法律などありません。