戸田城聖全集質問会編 99 煩悩即菩提・生死即涅槃

 

〔質問〕 御書の「煩悩即菩提」「生死即涅槃」とは、どのようなことでしょうか。

 

 これは日蓮正宗の根本的な、重大問題であります。頭で思索してもつかめぬし、私自身もわからない、しかし一応、理のうえから述べます。

 凡夫の生活は煩悩だけであり、煩悩のみにあらずと考えるのは空想、観念であります。聖人や君子のごとくありたいと願っても、実際問題として不可能であります。うそをつかぬという者こそ大うそつきです。自分の煩悩に生きながら、煩悩のままに、安心しきった幸福境涯をつかむ生活を「煩悩即菩提」「生死即涅槃」というのです。漁師が漁をする姿は煩悩だけの世界であり、釣師が釣のなかに楽しみを感じている姿は、煩悩即菩提であります。

 煩悩がなかったならば悟りはないのです。がりに、お腹がへって食べたいという心は、煩悩です。食べて満足する、満足することが菩提です。幸福なのです。人生に悩みというものがなかったら、人生ではないのです。その悩みが悩みでなくなってくるところが菩提です。なにも菩提だ、悟りだといってたいして変わったものではないのです。煩悩があればこそ満足があるので、満足があるからこそ幸せを感ずるのであって、毎日朝起きて、からだの具合がよくて、食べるご飯がおいしくて、毎日自分のすることがうれしくて、これで困らない生活ができる、この生活が菩提です。変わったものではないのです。煩悩即菩提というと、とても変わった人間になるというような、考え違いをしないほうがよい。