戸田城聖全集質問会編 96 なぜ御書に日興上人の名がないか
〔質問〕 日興上人様は日蓮大聖人第一の弟子として、日蓮大聖人様が佐渡へ流されたときも、常随給仕していたときいていましたが。「種種御振舞御書」には日興上人様の名前がでてこない。どういうわけでしょうか。
佐渡ご流罪のとき、興師様は日蓮大聖人様のおそばから離れなかった。ところが、日朗上人は牢に入れられました。われわれにしてみても、あなた方自身にしても、そばにいるものは心配がない。それなのに、そばにいなくて、しかも土牢に入れられている朗師様にたいして、お手紙を与えられ励まされるのはとうぜんのことであって、自分のそばにいる興師様のことを書く必要はないでしょう。
おそばにいたという証拠は、日蓮大聖人様がおしたためになった大きな御書があります。ことに「立正安国論」「観心本尊抄」などは大きな御書であり、「観心本尊抄」などはたいしたものです。それをそのまま写した写本が日昭の造った寺にありますが、それが興師様のお筆のものなのです。そばにいなかったら、書けるわけがないではないですか。
おそばにつねにいる人のことは手紙にもでないものです。そばにいるものに手紙をやるわけはないではないですか。あなた方、女房に手紙をやった覚えがありますか。そういうわけです。