戸田城聖全集質問会編 76 御本尊と並べて阿弥陀を拝んでいる
〔質問〕 私の折伏した人が、入信して一か月ぐらいして、一度謗法払いした阿弥陀の掛け軸をまた持ってきて、御本尊様と並べているが、どうしたらいいでしょうか。
それはそのままそうさせておいてみなさい。法力がどれだけあるか。かわいそうだけれど も、しみじみとよくわかる時がきます。
で、こういうこともあります。私のごく仲のいい親友で、栗山君という人なのですけれども、その人はひじょうに親孝行でした。そして邪宗の法華経の本尊を拝んでいたのです。それは母親が拝んだ本尊なのです。それで謗法払いといっても、どうしても、それだけ離さない。
ある日、私が、ちょうど御書を読んでいたのです。朝、その人がそこへ用事があってやってきた。それから私がその御書の個所を示して、「栗山君、私がしょっちゅういうのは、日蓮大聖人様はこうおっしゃっていたのだ。ここの御書が君の胸にわかれば、ふだん私がいっている御本尊のお力はわかるだろう。こういうものなのだぞ」と御書をひいて話してやったら、その日に御本尊様と取りかえました。
ですから、まだあなたが、指導能力がないのですから、そんなに、くよくよしなくてもいいのです。一度折伏したのですから、これは金剛宝器戒と申しまして、たとえ途中で阿弥陀と取りかえてみても、ひとたびいただいた御本尊様は、未来永劫、捨てることはできないのです。
ですから、折伏してやったのですから、会うたびにいつでも、いってやりなさい。ただし、そのことによって悩む必要はありません。
しかし、時がきます。これはおもしろいことでして、おもしろいといってはおかしいですけれども、折伏して入信して、途中で退転するでしょう。すると、ろくなことがないのです。その姿をわざわざ見せにくるものです。