戸田城聖全集質問会編 69 鶴の紋について
〔質問〕 鶴の紋は万歳の紋だといわれましたが、どういうわけでしょうか。
鶴丸が万歳の紋ですって? 万歳でもいいではないですか。いったい紋というをのは、いつできたかということが問題です。だから私は、若い人たちに、本を読みなさいというのです。
きょうも輸送班の青年に、本を読まないと、学問しないと、人間はできないぞ、といったのです。
紋はいつできたか、という問題ですが、湊邦三君がいま、日蓮大聖人様の小説を書いています。そうすると、鶴丸の紋をどうあつかうかという問題がでてきた。それで日蓮大聖人様がお生まれになったときに、それをめでて贈られたというふうに書こうかと考えたが、それは、九十二でいらっしゃる畑毛の堀猊下が笑ったそうです。猊下は笑うわけです。日蓮大聖人様の紋などはありません。
風呂敷というの知っていますか。そこからおぼえていかなければなりません。風呂敷というのは、足利義政という男がおりまして、それが、風呂というものを造って大名たちを入れたのです。ところがその風呂に集まってくる侍大将というものは、みな教養のない人間なのです。
教養がない。いなかの武将が集まってくるのです。そして、人のものを持っていくのです。いまでも、よく、いい靴があるとはきかえていくでしょう。そんなのはまだいいのですけれど、むかしは、人の鎧まで持っていってしまうのです。それで、風呂にはいるときに、敷いたものに紋をつけたので風呂敷というのです。うそではないからよく調べてごらんなさい。
それから、いよいよ日蓮大聖人様の仏法が軽蔑されて、ひろまらないわけですから、日蓮大聖人様のおっしゃられた自界叛逆といいまして、戦国時代というのが起こったのです。そこでみな、自分はこんなふうに強いぞ、おれはこうだぞ、というために背中に旗を立てたのです。
そのとき、みな紋というものをつくったのです。おれはこういう紋だ、おれはこの印だと。だからごらんなさい。トウモロコシをきざんだみたいな紋だとか、キュウリを横にしたような紋だとか、桐の葉っぱだとか、菊の葉だとか。そうして紋というものが起こったので、徳川時代に、本山でも、紋をつくらなければならないというので、鶴丸の紋ができたのです。
いいですか、日蓮大聖人様の家に紋があったのではないのです。大石寺の石はたった六百石、石高でいえばたったの六百石です。しかし、位は十万石の位なのです。そういうために、江戸へのぼったときに、印がなくてはならないから鶴の丸をつくったのです。だから、万歳の紋ではないのです。日蓮大聖人様のときから鶴丸があったわけではありません。万歳の紋がなんだか、知っていますか、むこうがまねしてつくっただけのことです。