戸田城聖全集質問会編 62 鐘をたたく理由
〔質問〕 日蓮正宗で鐘(鈴)をたたくその根拠について教えてください。
それは、仏様を賛美するために、鐘や、いろいろの音律、早くいえば音楽です、音楽を奏して、仏の心をやすめたてまつるのです。それが鐘のもとなのです。だから、鐘は、ガンガンたたくものではないのです。あれは御本尊様にたいして、仏様にたいして、心をやすめてさしあげるということです。それは、法華経の方便品を読めばはっきりしています。
仏様の心をやすめるためにという、三味線があのころあったら、やったかもしれません。そうなったらわれわれは困ります。まさか御本尊様に三味線をひくわけにいきません。ともかくも、あのころの音楽なのです。うそだと思ったら、朝あそこで鐘をたたくでしょう。あれをたたけるようになるまでには、たいした時間がかかるのです。
あれは七五三にたたいているのです。あれは音楽なのです。ただかってに、たたいているのではありません。消防自動車が鐘をたたくのとはちがう。それは、消防自動車が音楽をやりながら、火事を消しにいくなどといったら、みんなおこってしまいますけれども、そうではないのです。お山の鐘は、七五三にたたいているのです。ですから音律があるのです。
だから私は安い鐘はだめだということをやかましくいっているのです。ほんとうの鐘は、金がいいのです。このごろのものは金などいれないから、安いので造ってしまう。それが鐘を打つ大もとなのです。三つたたいてよいか、七つたたいてよいか、そんなことは問題ではありません。あの鐘をたたくときには、一つにはみな並んでお経をあげているときに、やめろ、はじめろ、という意味でたたくのです。これは合図なのです。ところがほんとうの気持ちは、仏様に安心させるために、仏様をなぐさめてさしあげるのです。