戸田城聖全集質問会編 40 二座の御観念文について
〔質問〕 二座の御観念文の意味について
御本尊のさまざまな徳を申し上げて、御本尊を賛嘆し、供養するのが、二座の御観念文の意味です。
①「本門寿量品の肝心」とは、釈尊出世の本懐は法華経の寿量品ですが、ここでは仏は永遠の生命を説きあらわすのです。釈尊は五百塵点劫に仏なりと説くが、日蓮大聖人様のお悟りはさらに深く、御義口伝に「はたらかさず・つくろわず・もとの儘」(御書全集七五九㌻)と、久遠元初以来の仏であるとおおせられており、すなわち日蓮大聖人様は下種の仏であり、ゆえに寿量品の肝心は「南無妙法蓮華経」であります。そして、まだ説かざる仏法をお説きだしになるのですから、
②「文底秘沈」の大仏法であり、仏様の本地は何かわからないゆえに、
③「本地難思」であり、その智は宇宙のいっさいに通達し、われわれが、御本尊を対境として信ずれば智慧がわき、
④「境智冥合」してこそ、初めていっさいの悩みを解決することができるのです。
⑤「久遠元初」すなわち宇宙はじまって以来の、
⑥「自受用報身如来の御当体」とは、われわれの生命は、そのまま存在するものであり、だれからも左右されるものではない、その生命そのままの日蓮大聖人様こそ、末法の本仏であります。
⑦「十界本有常住」とは、われわれのだれの生命も十界互具である、ゆえにいかなる悩み、願いでも大御本尊に通ずる。けっして別のものではない、ゆえにわれわれの悩みが感応し、また願いがかなうのであります。
⑧「事の一念三千」とは、御本尊、法即人即日蓮大聖人様、
⑨「人法一箇」とは、人は日蓮大聖人。法は御本尊、法即人です。
⑩「独一本門戒壇」とは、釈尊の法華経二十八品とは、天地の相違があります。日蓮大聖人の法が顕れれば、釈尊の本迹ともに迹門であり、日蓮大聖人様の法華経をもって独一本門となし、いっさいのもののなかでこれにすぎたるものはないのです。