忘れ得ぬ八月三十一日

「御義口伝」講義の興奮

 一人が立ちあがり、「御義口伝に云く南無とは梵語なり、此には帰命と云う……」と読みはじめた。ところが、その読み方が、つっかえてばかりいて、あまりにもヘただったのです。私は、自分のことのように内心はらはらしておりました。

 忘れもしない、昭和三十七年八月三十一日、池田会長みずから、学生部の幹部に対して「御義口伝」の講義を開始されたのです。私も、そのメンバーの一人でした。

 その年、講義の前に、二回ほど池田先生を囲んで、学生部の部長会がもたれました。第二回目の時だったと記憶していますが、私たちから「先生をお迎えして、部長以上で御書の勉強をしたい」とお願いしたのです。先生は即座に「学生部は、御書を通して日蓮大聖人の仏法の奥底を究めていかなければ、学生部の存在価値はないからね。これからは一緒に勉強していこう」と答えられた。

 やがて、先生のほうから、「御義口伝」の講義をしてくださるとの話があり、私たちは、小躍りして喜んだものです。同時に、「御義口伝」と聞いて、私自身、一瞬ぎくりとしました。

 というのは、「御義口伝」は、日蓮大聖人から日興上人に伝えられた、仏法の極理中の極理と聞いていたからです。

 日蓮正宗においても、この「御義口伝」は相伝書であるために、七百年間、誰一人として、講義されていないのです。したがって、何一つ参考書もありません。私たちは、お手上げの状態で、「もうこれは、先生の講義をうかがうしかない」と、予習を断念してしまっていたのです。

 こうして、ついに第一回目の八月三十一日を迎えたのです。一人の人が指名されて、冒頭の「南無妙法蓮華経の事」を読み出したとたんに、この安易な受け身だけの、弱々しい私たちの姿勢は、いっぺんにさらけ出されてしまったのです。

 先生は、厳しくも、また、かんで含めるように、私たちに、

「諸君たちは、知識は相当あるかもしれないが、御書という根幹の問題になると、まだひじょうに浅い。諸君たちの御書の読み方では、身口意の三業(業は行為のことで、身と口と意の行為)で、この御書をぜんぶ実践しきろうという音調に聞こえない。じつにあさはかです。御書は、経文です。暗記するぐらいに、読まなくてはいけない」と言われたのです。

 私にとって、終生忘れえぬ言葉となりました。ここに、御書、そして法華経に迫る姿勢の一切が、要約されているからです。

 仏法の体内に入っていくには、そこに直接的に迫っていく、生命それ自体の力がなければならない。たんに、知識だけで学ぼうとするのは、仏法の周囲をグルグルと俳徊するだけになってしまう。その意味で、この会長の言葉は、胸にグサリと、突きささってきたのです。

 先生の講義は、本格的なものでした。受講生に、法華経の要文の前後、背景、そして「御義口伝」の一通りの解釈をさせ、そのあとで、さまざまな角度から、話をすすめていったのでした。

 それは、直裁、簡明でありました。また、その展開は、時代、社会をふまえつつ、世界的な普遍性をもった、縦横無尽といったものでした。私にとっては、遠くにある一点の光がぐんぐんと光度を増して、矢のように胸を貫いてくるような思いでした。

 それからというもの、講義は、原則として一ヵ月に一回、リズム正しく行なわれていきました。ただ会長が、地方へ、外国へと行かれる機会も多く、また、「御義口伝」(上)ので、一回くぎりをつけました。しかし、上と下の講義を合計すると、五年間にわたり、三十数回にもおよぶ全力投球のものでありました。それは、名匠が粒々辛苦して作品を磨きあげていくのにも似た、人材形成の作業だったともいえるでしょう。

 いったい、未来をになう若人に、それだけの力を込めて、五年間にもわたり、未来世紀ヘ哲学を送りゆく指導者が、他にいるだろうか ― 私は、しみじみと、こんなことを考えたことがありました。

 

 

池田会長の見事な解釈

 池田会長の講義は、膨大なものとなり、講義録として、上下二巻にまとめられておりますので、今、私は、そのすべてを語るつもりはありませんし、紙幅の関係からもそれはできません。

 ただ、当時の先生の講義と、その時の感想を思い出しつつ、二、三の点を述ベてみたいと思います。

 たとえば、法華経の序品に「仏所護念」という言葉があります。そういえば、どこかで聞いた言葉だな、と思う人もいるでしょう。他教団の中で「仏所護念」というのを、仏を「死んだ人」として、先祖を拝めば、自分たちが守られるというのがあります。これは、明らかに日本人の先祖崇拝の心を利用したものです。

 かつて戸田先生も、このことについて触れて、「もし、釈迦が、これを聞いたら、怒ることを忘れて、呆然として、しかる後に、大いに噴き出すであろう。日蓮大聖人がお聞きになったら、『世も末』と、ただ一言おおせになるにちがいない」と言われていました。

 この仏所護念という本当の意味は、"妙法蓮華経"というのは、大乗経であって、菩薩を指導する根本の経であり、これをあらゆる仏(三世十方の諸仏)が護り念じてきた、ということです。

 この「護念」について、「御義口伝」では、さまざまな角度から言及されています。最初は、難解な用語が、ズラリと並んでおり、なかなか理解しがたいものでした。

 池田先生は、それを見事に現代的に解明しながら講義をされ、なお、私たちの現実生活にも「護念」というものがあることを、このように付け加えて言われたのです。

「護念ということは、われわれの通常の生活にも、必ずあるわけです。仏所は別にして、護念ということは、たとえば、学会内においていえば、戸田先生が、次の会長は誰にしようか、と護念していらっしゃったわけです」

「それから大学でいえば、そういう教育法ではないと思いますけれども、大学の優秀な先生が、本当に優秀な弟子として、学生の中で、あの学生はなんとか立派に仕上げて博士にしよう、大成させたい、こういう心をもって、その人を導いている姿は、護念でしょう」

「青年の立場からいえば、あの人が好きだ、なんとか、あの人を娶りたい、どういうふうにあの人に言おうか、みんなにわからないようにしておこうか、というのも護念ではありませんか」

 たしか、このとき、さわやかな笑いが起こったように覚えています。護念といっても、特別なものではありません。みんな何か護り念じているものがあります。それこそ、千差万別の護念があることでしょう。

「いわんや、仏法の世界において、八万法蔵の最高の哲理である法華経をば、一切の民衆は、まだまだ仏法を理解しないし、機根(仏の説法を受ける民衆の生命状態)が熟さないし、そういう場合に、釈迦が無量義 ― というのは、一切の法門(法に入る門ということで経文のこと)をぜんぶ摂したところの講義をいうのですね。教菩薩法 ― 菩薩をぜんぶ仏にしきっていくという法、教えです。その妙法を、仏が護念していった、いつそれを発表しようか、説こうか、知らしめようかと考えられることでしょう」

「生活のうえでも、ぜんぶ合うのですから、いわんや、永遠の生命という偉大な哲理を教えようという場合には、今後、成熟させて、時を待つということは、考えられる方法であり、それから当然の道理であると思うのです」(以上「」内は、当時のメモによった)

 私は、こうした講義を聞きながら、これほど仏法を生活に密着させながら展開できる秘訣は、いったい何だろう、と考えたりしました。私は、それまで仏所護念というと、仏が妙法蓮華経を護念してきた、と機械的に覚えていましたが、なんで護念してきたのかも、わからなかったのです。私たちも、ずいぶん、たえずいろいろなことを護念しているのだ。時とか、相手とか、順序とか、場所とかを考えながら、自分の考え、思いを発表することを待っているのではないでしょうか。

 

法華経は仏の無問自説

 ところで、三世十方の諸仏が、妙法蓮華経を護念してきたということは、いったい何を意味するのでしょうか。

 三世とは、過去、現在、未来のことです。つまり、悠久に流れきたり、流れゆかんとするタテの時間のことです。十方とは、あらゆるヨコの空間を指します。つまり、無限に広がり、悠遠の流れをもった大宇宙そのものといってよいでしょう。その仏とは、大宇宙そのものが、大慈悲の働きをしていくことが、三世十方の諸仏の意味ともいえます。そして、この仏の生命を発動せしめる、大宇宙それ自体に秘められた(護念された)根源の力が、妙法蓮華経と名づけられる実体なのです。これを、まさしく法華経で説くということなのです。

 それから、やはりこれは、序品に「天鼓自然鳴」という言葉があります。「天の太鼓が自然に鳴った」という、序品の瑞相(これから大法門 ― 偉大な哲理が説かれるきざし)の一つです。

 これを、中国の天台大師は、「法華文句」という法華経の解釈書に「天鼓自然鳴は無問自説を表するなり」と述べております。

 無問自説というのは、質問がないのに、仏(釈迦)が自らの意志で法を説くことをいいます。

 ふつう、仏が説法する場合には、衆生側からの質問があり、それに応じて、その時々の法を説くのですが、釈尊は、法華経については、無問(問いがない)でありながら、自説(自ら説く)したのです。これは、法華経以前では「衆生が仏になろう」などと、夢にも思わなかったのに、衆生を仏にする道を説いたものが法華経ですから、質問があろうはずがないのです。

 日蓮大聖人の「御義口伝」では、この無問自説について、生命論の立場から「一義に一切衆生の語言音声を自在に出すは無問自説なり、自説とは獄卒の罪人を呵責する音、餓鬼飢饉の音声等、一切衆生の貪瞋癡の三毒の念念等を自説とは云うなり」と説かれています。

 この文について、池田会長は、「ある面からいえば、一切衆生が語言音声を自在に出すのは、これもやはり無問自説になる。歌を歌いたい、自然のうちに、暑いとか、寒いとかいうのも無問自説です。しかし、それが事実、一生成仏にはつながらない」(当時のメモより)などと語っておりました。

 仏法は、真に人間性に立脚していることがよくわかりました。人間の本然の姿を説き、そして、その昇華をはかっていこうとするものであることも、納得がいきました。キリスト教や仏法の小乗の教えなどでは、人間の欲望を罪悪視し、本来の人間性まで抑圧しようとします。しかし、真の大乗仏法は、抑圧ではなく、コントロールできる"主我"の確立であり、むしろ欲望さえ生かし、用いるものなのです。

 この時、人間は、初めて、真の意味の「自由」を獲得したことになります。「御義口伝」において「天鼓自然鳴」の「自然」とは、「無障碍」(障害がないこと)であるとしているのも、生命それ自体の自由を意味しているのです。

 また、「天鼓とは南無妙法蓮華経なり」とあるように、生命自体の自由の、内奥の根源力が、南無妙法蓮華経である、ということです。

 このように、序品の、天の太鼓が鳴るという瑞相(物事が起こるきざし)も、「御義口伝」によって読むならば、もはや、それは空想のドラマではなく、生命のドラマとなってくるのです。

 昭和三十九年三月二十日、「御義口伝」(上)の講義が終了しました。私たちにとって、この日も永遠に忘れられません。

「『御義口伝』の講義を受けた諸君が、これから全世界ヘ行って、『御義口伝』の講義をする資格を与える」

 ― 池田会長は、何ものかを私たちに託すかのように、繰り返しこう語るのでした。その時、言いしれぬ感激が、胸中に澎湃として湧き起こるのを覚えたのです。

 とくに「全世界へ行って」という言葉に、私は、人類のための偉大な生命哲理を、私たちに託された思いがしたものです。今でも私は、鮮明に、未来の一切を青年に託す会長の心情を、あふれる光の中に見ることができます。

 東洋に流れる、大乗仏法の真髄は、けっして私たちだけのものではない。やがて、人類の心を潤すであろう、この法華経哲学のタイマツは、今、若人の胸に赤々と燃えている ― 私はこんな気持ちにひたっておりました。が、現代の混沌の地平に、仏法は生命の太陽としてまさに昇ろうとしています。