序 章 法華経との出会い
私が魅了された"生命の世界"
戸田先生から講義された初めての法華経
私は、思わず心の中でうなった。昭和三十年ごろと思いますが、私は、毎週の金曜日に、必ずといってよいくらい、豊島公会堂(東京都豊島区)に出かけていきました。そこで、戸田城聖先生(創価学会前会長)が、直接、「法華経」の要品(重要な経文=方便品、寿量品)の講義をされていたからです。それが、じつに明快な、生活に即したものだったのです。 私は、その日が、いつも待ちどおしくてなりませんでした。
一級講義と名づけられていましたから、もっとも初歩の人にわかりやすく話されたことでもあったのでしょうが、その名講義は、まさしく、天馬が天空を自在に翔けめぐるような、自由闊達なものでした。今でも、私の耳にはその声が聞こえてくるようです。
ちょうど寿量品の「方便現涅槃」のところの講義だったと思います。
「この方便現涅槃ですが、日蓮大聖人は、生死の理を人々に示さんがために、涅槃を現ずるとおっしゃっております。われわれが死ぬということは方便なのであります。……だんだんとおじいさん、おばあさんになります。そして、この世の中で生存する生命力が、だんだんと衰えてきて死ななければなりません。……われわれが死なないとしたら、大変に困ることが起こるでしょう。死ぬところにいいところがあります」
「死ぬところにいいところがあります」 ― なるほどなあ、と私は思いました。たしかに、人間がもし死なないとすれば、地球上に人口があふれ、みんな年寄りばかりになって、食物もなくなり、いつのまにか、ぎっしりつまって、身動きできなくなってしまう。今度は、どんなに死にたい、死なせたいと思っても、死なないんだからしようがない。まだ少年期の私には「死ぬところにいいところがあります」と言った戸田先生の一言に、死という重大問題を、きわめて肯定的に、また大胆にとらえている、ゆうゆうとした境地が伝わってきて、驚嘆したものです。また、その次の内容が興味をひきました。
「おじいさん、おばあさんになって死んで、大宇宙の生命のなかに、われわれの生命が溶けこんでしまいます。溶けこむが、霊魂ではありません。"我"というものが存在するのであります」「大宇宙の生命のなかに、われわれの生命が溶けこむ」 ― 私の心に、その言葉が、強い波紋を描いて飛び込んできました。
法華経、なかんずく日蓮大聖人の仏法では、生死の問題を、生命の変化相としてとらえています。生命が顕在化した場合は、生であり、大宇宙の中に冥伏(本質的には実在するが、現実には顕われていない状態)していくのが、死ということなのです。そして、それが永遠につづいていくと説いているのです。
しかし、私には、一つの疑問が湧いてきました。それは、大宇宙に溶け込む"我"という存在と、霊魂とは、どう違うのかということでした。これは、あとですぐにわかりました。霊魂といったものが肉体から飛びぬけて、どこかに浮いているといった考え方は、仏法では誤りとしているのです。
"我"という存在は、宇宙それ自体なのです。こうした問題については、後にまた、テーマとして取りあげていくことにします。
戸田先生の講義はつづきます。
「この我が、いろいろな喜びや悲しみを感ずるのであります。業を感ずると申しまして、その結果は、また娑婆(現実社会のこと)世界に、若々しい生命を持って赤ん坊になって生まれてくるのであります。ただし、生まれ変わるのではありません。
生まれ変わるという言葉は、ひじょうにいけないのであります。……生まれ変わるのではなくて、ただつづいただけであります。大宇宙とわれわれの生命とは、即一体であります。宇宙というものは、始まった時がありません。終わりもありません。生命も、始まりもなければ終わりもないのです。永遠に生きていくのであります」
戸田先生は、法華経を講義される場合、必ず、文上と文底とに筋道を立てて論をすすめられていきました。
文上というのは、法華経の経文上の、文字どおりの解釈ということです。これに対して、文底とは、法華経が、いったい何を説こうとしたのか、という元意から読んでいく立場です。結論からいえば、それがことごとく"南無妙法蓮華経"という、生命の究極の実体を明かそうとしたものである、というのが、日蓮大聖人の仏法の立場であり、その観点から、生命論として読んでいくのが、文底ということなのです。
戸田先生は、この文底からの読み方を示したのが、日蓮大聖人の「御義口伝」であることを強調していました。あとのこととも関係しますので、ここで若干「御義口伝」のことに触れておきたいと思います。
法華経は生活の中に息づいている
「御義口伝」は、日蓮大聖人が晩年に身延山において、法華経の要文(重要な経文)について講義されたものを、弟子の日興上人が筆録し、大聖人の御允可(弟子が正しく理解していることを師が証明すること)をいただき、後世に伝えられたものです。
日蓮大聖人の法華経の講義は、経文の表面的な内容の展開ではありません。釈迦の説いた法華経の文をあげ、天台、妙楽(いずれも中国における法華経の正統の大家)の解釈をあげ、その次に「御義口伝に云く」と、日蓮大聖人の立場からの奥義が説かれているのです。
ところで、池田先生(創価学会会長)の書かれた『人間革命』(第四巻“秋霜”の章)では、戸田前会長が、戦後、創価学会再建にあたって、法華経の講義から始めたことに触れ、富士大石寺の御宝蔵の石畳の上で深く懺悔している姿が描かれています。
「― 戦後五年の月日が流れてしまった。学会は、まだ盤石の基礎から、ほど遠いところにある。何故であろう。私は、昭和二十一年正月、総本山の坊で四人の幹部を相手に、法華経の講義から始めた。
― それというのも、戦時中のあの弾圧で、教学の未熟さから、同志の退転という煮え湯を呑まされたからだ。この私の方針が間違っていたとは、どうしても思えない。方針は正しかったが、大聖人の仏法を理解させることにおいて、私は誤りを犯したようである。
― 『御義口伝』を基にして講義したつもりであったが、受講者はなかなか理解しなかった。
そこで天台の『摩詞止観』(天台が、法華経を基にして生命論の体系を述べた重要な著作)の精密な論理をかりて話すと、よくわかる。勢い受講者が理解したものは、大聖人の法華経ではなくて、いつの間にか天台流の臭味のある法華経になってしまったのだ。(中略)戸田が一身にその罰をうけて、いま翻然と悟ったところのものは『御義口伝』への果てしない郷愁であった。
初代、二代、そして今、広宣流布(仏法を広く流布すること)の本門(ここでは本格的段階の意味)の時来たり、いよいよ大法興隆の力いでんとする時、大聖人の仏法の真髄に直達(ただちに悟り達すること)するために、初めて『御義口伝』からの直道(ただちに悟りに達する道)が開かれたのである」
ここで「日蓮大聖人」と私たちが呼ぶ理由について、ちょっと触れておきたいと思います。ふつう「上人」とか「大師」とか呼ぶのに、日蓮正宗だけが、どうして大聖人というのか、疑問に思われる人もいるでしょうから。
「聖人」というのは、じつは、仏という意味なのです。「大師」とか「上人」というのは、いわば法の継承者といったニュアンスのものですが、「聖人」とは、開悟の(悟りを開いた)人のことなのです。
日蓮大聖人のことを七百年前、弟子たちは「聖人」と呼んでいました。日蓮大聖人ご自身、当時の弟子たちへの手紙の中で「日蓮は一閻浮提(全世界の意)第一の聖人なり」と言われています。
じつは、数ある「聖人」のなかでも最高の「聖人」ということですから、その意味を含めて「大聖人」というわけです。また、ちなみに辞典などで調ベますと、「大」というのは「はじめ」という意味があり、たとえば「極致」とか「原初」という内容があることがわかります。
私たちは、釈迦に始まる仏法の流れに対し、日蓮大聖人は、それらをふまえつつも、まったく新しい独自の仏法の展開をされたと考えております。その意味から「日蓮大聖人」と呼称し、それを略して「大聖人」ともいったりしますので、ご了解ください。
ところで、戸田先生の講義は、深い生命論の話もありましたが、庶民の生活に息づく、おもしろい話法で、法華経を展開していきました。
たとえば、寿量品に「園林諸堂閣 種種宝荘厳」とあります。これは、法華経を持った人の生活は「園林諸の堂閣、種種の宝をもって荘厳し」ということです。つまり、美しい庭園や林に囲まれ、種々の宝で飾られた邸宅に住むということです。まるで遠い夢のような話です。しかし、戸田先生の手にかかると、たちまち、現実のことになってしまうのです。
「園や林、家や堂閣は種々の宝をもって荘厳されて(飾られて)おります。このとおり読めば、これはちょっと無理であります。いったい、園だの林だのいっても、玄関さえない家があるのであります。諸の堂閣などといっても、四畳半しかない人々が多いのであります。いくら御本尊を拝んだからといっても、すぐ堂閣なんかにはなりません。
しかし、よく読んでみると、諦める必要はないのであります。住まいに園や林なんかいつでも作れます。どうせ東京の真ん中で、園や林なんか作れるわけがないのでありますから、ミカン箱を買ってきて、そこへ樒(モクレン科の常緑小喬木)を一本植えて、脇のほうヘ小さいキレイな木を十本か二十本植えて、朝、水をやって楽しめば立派な園林であります。四畳半といえども我が城なりという大確信の上に立って、宝をもって荘厳する、心の宝をもって荘厳できるのであります」
なるほど、これならうなずける。当時の私の家と、まったくピッタリで、おもわず噴き出してしまいました。戸田先生は、わかりやすい話の中から、結局、生きる姿勢の転換が、法華経の根本精神であることを教えていたのです。
※今も書店に並んでいる『7つの習慣』が目指すものと同じような感じがする。
法華経とは、人生であり、生活そのものだった ― 興味深い話とともに、そこには尽きせぬ人生の味わいというものが感じられたのです。
同じように、「常作衆伎楽」(つねに衆の伎楽を作し)ということについても、「『常作衆伎楽』、つねに音楽がなっているというのは、なにもラジオではありません。これはお父さんが帰ってきて『ああ、今日は愉快だったよ、こうだよ』 奥さんは『お父さん、きょうは、隣りの猫がニャンと鳴いたのよ』 坊やは『学校の先生が歩いていたよ』
そうして、一家が笑いさんざめいて暮らせるとすれば、つねに伎楽を作しているのではないでしょうか。
ところが、オヤジが、破れ太鼓みたいな声でドナり出し、女房がキーキーいって、子どもがオーッと泣く。これは、いい音楽ではありません」 ― 会場には、ドッと笑いが渦巻いた。