戸田城聖先生の巻頭言集 60 王仏冥合論 三、時を論ず

 

有徳(うとく)(おう)(かく)(とく)比丘(びく)の其の乃往(むかし)を末法濁悪の未来に移さん時』とは、国立戒壇建立の世相をお説きあそばされたもので、有徳王・覚徳比丘の乃往とは、立正安国論に涅槃経の文をひいてお示しになっている。いま、その文をひくに、

 

 立正安国論(御書全集二八㌻)にいわく、

 

 『又云く「善男子・過去の世に此の拘尸那(くしな)(じょう)(おい)て仏の世に出でたもうこと有りき歓喜(かんき)増益(ぞうやく)如来(にょらい)(ごう)したてまつる、仏涅槃(ねはん)の後正法世に住すること無量億歳なり余の四十年仏法の末、()の時に一の持戒の比丘有り名を覚徳と曰う、爾の時に多く破戒(はかい)の比丘有り是の説を()すを聞きて皆悪心を生じ(とう)(じょう)執持(しゅうじ)し是の法師を()む、是の時の国王名けて有徳(うとく)()う是の事を聞き(おわ)って護法の為の故に即便(すなわち)ち説法者の所に往至(おうし)して是の破戒の諸の(あく)比丘(びく)と極めて共に戦闘す、()の時に説法者厄害を(まぬか)ることを得たり王・()の時に於て身に刀剣鉾槊(とうけんむさく)(きず)(こうむ)り体に(まった)き処は芥子(けし)の如き(ばか)りも無し、()の時に(かく)(とく)尋いで王を讃めて言く、善きかな善きかな王今真に是れ正法を護る者なり当来の世に此の身当に無量の法器と為るべし、王是の時に於て法を聞くことを得已(えおわ)って心大に歓喜し()いで即ち命終して阿閦仏(あしゅくぶつ)の国に生ず(しか)も彼の仏の為に第一の弟子と()る、其の王の将従(しょうじゅう)・人民・眷属(けんぞく)・戦闘有りし者・歓喜有りし者、一切菩提の心を退せず命終して悉く阿閦仏の国に生ず、(かく)(とく)比丘(びく)(かえ)って後寿終って亦阿閦仏(あしゅくぶつ)の国に往生することを得て彼の仏の為に声聞衆中の第二の弟子と作る若し正法尽きんと欲すること有らん時当に是くの如く受持し擁護すべし、迦葉(かしょう)()の時の王とは則ち我が身是なり、説法の比丘は迦葉仏是なり、迦葉正法を護る者は是くの如き等の無量の果報を得ん、是の因縁を以て我れ今日に於て種種の相を得て以て自ら荘厳し(ほっ)身不可壊(しんふかえ)の身を成す、仏迦葉(かしょう)菩薩(ぼさつ)に告げたまわく、是の故に法を護らん()()(そく)等は(まさ)に刀杖を執持して擁護する事是の如くなるべし、善男子・我れ涅槃の後濁悪の世に国土荒乱(こうらん)し互に相(しょう)(りょう)し人民飢餓せん、()の時に多く飢餓の為の故に発心出家するもの有らん是くの如きの人を名けて禿人(とくにん)と為す、是の禿人(とくにん)(やから)正法を護持するを見て駈逐(くちく)して出さしめ若くは(がい)せん、是の故に我れ今持戒の人・諸白衣(びゃくえ)の刀杖を持つ者に依って以て伴侶と為すこと(ゆる)す、刀杖を持すと雖も我れ是等を説いて名けて持戒と()わん、刀杖を持すと雖も命を断ずべからず」と』

 

 以上の文における歓喜(かんき)増益(ぞうやく)如来(にょらい)とは、末法今時よりこれを読めば、御本仏日蓮大聖人であらせられる。また覚徳比丘とは、日蓮大聖人の教えを堅く守るものであり、『爾の時に多く破戒の比丘有り是の説を()すを聞きて皆悪心を生じ刀杖を執持し是の法師(ほっし)()む』とは、今日の邪宗のやからで、たとえば創価学会の活動に対して、自己の収入の減ずるのを憂えて妨害する僧侶のやからのことである。また、有徳王とは、正法を守る権力者ことで、たとえば政治家、評論家およびその他の社会指導者を意味するであろうか。また『爾の時に(かく)(とく)()いで王を讃めて言く、善きかな善きかな王今真に是れ正法を護る者なり当来の世に此の身当に無量の法器と為るべし』とは、未来世における功徳の広大無辺を説いたものである。

 しこうして、この経において結論していうのには、禿人(とくにん)といって、職業僧侶すなわち生きんがため食わんがためのみの僧侶が世に充満して、少しも僧侶として世人を救う力のない時代に、国のため、世のため、法のために、不惜身命のものが現われたときには、その僧侶等は、徒党をつくって迫害するであろう。その時は、その迫害に対して身を守らんがために、その人々は(とう)(じょう)執持(しゅうじ)してもよい。しかし、それは身を守るためであって、決して人の命を断ってはならないというのである。

 要するに、大聖人がこの御文をひいて、国立戒壇建立のときの世相を予言せられたものである。しかし、争いのあることを主としたものではなくて、護法の精神の強いものの現われるときを示したものである。されば、前抄にも述べたように、唯一の正法、弘安二年の大曼荼羅守護(しゅご)のものの数が多くでき、また守護のため強き心を持つものが多くなったとき、その反対の熾烈(しれつ)なることを、お示しになったものであろう。

                            (昭和三十一年十月一日)