戸田城聖先生の巻頭言集 49 宗教の正邪批判の方法
日蓮大聖人いらい、宗教の正邪を決定する理論は、はっきり打ち立てられている。すなわち、文証・理証・現証の三証が、いずれも正しいということが必要である。
文証においては、種々の議論はあろうが、大聖人所立の五重の相対において、明らかにせられていることは、周知の事実である。しかし、理証においては、人各々、我慢を立てて、正しい理論に屈服しょうとしない。されば、各宗各々間違われている文証や、少し仏法の理諭を研究した者には、聞いてもおかしいと思われる理論をもって、世人を惑わしている者が大部分を占めている。それは、現代人に、仏教上の素養が皆無なためである。相当の知識人と誇る者のごときも、この類に属するものが多い。
吾人が、ある日、宗教関係の役人に、「今、日本には、人生を不奉にする宗教が、非常に多い。正邪を正しく批判して、邪宗のものは、これを撲滅するようにしてはどうか」と話したら、投人のいわく『それは、お釈迦様でなければ、わからんでしょうね』と。ああ、これが一般社会の通念なのである。到底、自分らの手では、宗教の正邪は、判定できないと、あきらめきっているのである。正邪がわからないから、宗教はなんでもよいという思想が、生まれてくるのである。
それは、わが学会が、立正交成会を攻撃したその直後、また宗教関係の一課長と会ったことがある。その課長のいわく『営業妨害になるようなことは、しないがいいだろう』と。あ.あ、国家の役人すら、宗教を一種の営業と見なすに至っては、宗教の正邪を批判することなどは、思いもおよぼない。このゆえに、邪義邪宗のやからが、末法の愚人を誑かして、かれらの膏(こう)血(けつ)をしぼり、しかも、その生命力を奪い、不幸のどん底へ、落としこんでいるのである。
ここに、『道理証文よりも現証にはすぎず』との、宗教批判の根本問題が、考えられてくる。ゆえに、吾人は次のごとく提言する。
科学者が、その研究の対象を、感情や利害を離れて、これを静視して科学するがごとく、吾人らも、宗教現象を科学すべきである。否、一歩を進めて、農業学校や、水産学校や、あるいは、その他の専門校のあるごとく、宗教にも研究所を設けて、宗教現象を研究して、その正邪を判定することを、社会に向かって吾人は要求する。
たとえば、あらゆる宗教団体が、ある特定の信者百軒を指定して、まず昭和三十年度の生活を調査する。この調査は、宗教に無知識で、しかも何宗にも片寄らない、むしろ宗教ぎらいな人によって、公明に調査されねばならぬ。かりに、これを名づけるのに、宗教現象調査会とでもいおうか。そして、三十一年度にはどうなったか、三十二年度には病人ができたか、三十年度の病人が健康になったか、また事業がどうなったか調査する。三十三年度も同様である。かくして、五年、十年の調査を続ける。また、三十一年度にも百軒を特定して、以上のように行なう。三十二年度にも、同じく以上のように行なう。かくして、五年間ぐらい続けるならば、十年後には、各年度の各々百軒の生活状態が、各宗派ごとに、一定の形を取ることを、吾人はここに断言する。
この統計によって、いかなる無知なものも、宗教の正邪を、はっきりと判定できるはずだ。
その上に、特定の百軒が、ほぼ同一程度のものであるならば、宗教というものが、人間生活の幸不幸の根底であることが、判然とするであろう。また、正しい宗教では、強信な者は幸福となり、その反対の者は不幸になり、邪宗の輩は、その信心の強い者は不幸になり、弱い者はそれほど不幸にならぬことが、はっきりするであろう。しかし、一般大衆は、これほどの科学的な意識がなくても、なんとはなしに、この結論を感得することは、否めない事実である。
結論していわく、かくのごとき現証をもって、日蓮正宗と戦わんとする宗教あらば、吾人は喜んでこれと法戦を交え、鎧袖一触、直ちにこれを粉砕するであろう。
(昭和三十年十月一日)