戸田城聖先生の巻頭言集 6 日本民族の生命
日本民族が発生してから、二千年乃至三千年といわれている。私は今ここで、年代の五百年や千年の相違を論じようとするものでもないし、また超国家主義者のように、神がかり的な日本民族の優秀論をするのでもない。ただ世界の歴史をながめて、各民族の消長を知り、ひるがえって、わが民族と仏教との関係について、一言したいのである。
古代エジプト人は、かの有名なピラミッドを残して衰退し、隆盛をきわめたバビロン王朝にしても、ペルシャにしても、インドにしても、ゲルマン民族にしても、幾多の盛衰興亡を重ね、幾多の変遷を重ねせ今日にいたっている。しかして、包含今日、地球上に生生発展している民族は、数えるほどしかないのである。これは、ある一種の有力な民族が中心となり、各種の民族を
して、一民族を形成するときには、その民族が若さを持ち、あるいは若さを取り戻して、隆々と発展していくのである。
糾合中国の歴史を見ても、中央の文化を形成している民族が古くなると、北方その他より、新進の民族が中央に進出して、諸民族を糾合(きゅうごう)
して、新しい民族の若さを取り戻しているのである。今日、地球上において、もっとも繁栄をきわめているのはどこか? と問えば、だれしもアメリカ合衆国をさす。実にアメリカ国民は、建国いらい三世紀内外のうちに、長足の進歩をきたし、世界の政治、経済、文化等、諸問題の中心として、発展向上しているのである。
ここにおいて、私は、衰亡の一途をたどっていく民族と、隆昌をきわめている民族とを比較してみて、民族それ自体の生命 ― 民族自体の力というものを、発見するのである。
さて、日本民族が世界史の上においても、長い長い歴史をもち、しかも、条件さえ備わるならば、今後とも生生発展していくことができる理由は何か。それは、わが国民が、上古より、たえず仏教の影響下に生活してきたことを考えなければならない。私は日蓮大聖人の立正安国論を拝したてまつり、大乗仏教の真髄と日本国との関係を考えてみるときに、実に仏教こそ、真に民族の生命を長遠ならしめ、真に幸福と平和とを築きあげる不可欠の要件であると信ずるものである。さらに一歩を進めていうならば、わが国にのみ現存する大乗仏教の真髄を、世界に向かって説き明かすべき使命と、責任と、義務を、日本民族がもっていると信ずる。
しかるに、今日の日本人は、仏法とは何であるかも知らず、あるものは権教、方便の低級な仏教に迷い、あるものはインチキ宗教に迷っている。現在の日本人にとっては、戦時中のような惟神の道で満足できるわけはないし、また戦後に簇生したインチキ宗教に満足することもできなければ、腐敗した既成宗教によっても、決して正しい道は開けてこない。一方においては、共産党などが、民族独立などと叫んでいるが、これほど、あてにならないものはない。
このときにおいて、私は真理の根本であり、最高の価値ある仏法に対して、日本民族が覚醒しないならば、その前途は暗澹たるものであるのに対し、真に平和国家、文化国家として世界に立ちゆくためには、とくに、『青年よ起て! しかして、真の仏法を求めよ!」と叫ぶものである。
(昭和二十五年一月十日)