今だけでなく
過去ごと変わるような
これまでの自分からしたら
考えられないような未来となっているような
そんなゲートが全員にあるよ
だから、いつでも、どんな時も
誰ひとり諦める必要ない
おそらく
「過去ごと変わる」というのが
最大の魅力と救いじゃないかな
もう、過去・現在・未来という
時間のトリックに縛られている必要ない
この写真は、私が見たものを、
写真を合成して作ったものです。
誰にでもゲートがあって、
これとまったく同じである必要もなく、
大きさも、場所もそれぞれでかまわなく、
また、こういったものを見ようと見まいと
まったく関係なく、
誰にでもゲートがあります。
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実際には、ゲートというのは、
理解したり納得したりしやすいから見たりする
「言い方」や「シンボル」でしかありません。
見たほうがより説得力があり、
より強く事実だと思えるようになるから
見えたりするだけです。
それを、第三の目で見たとでも
幻覚で見たとでも
実際に見たとでも
何とでも言うことができます。
つまり
見ても見なくても本当はどっちでもいい。
見たって信じないなら、ゲートを使わないなら
何の意味もないからです。
それよりも、それを信じるかどうかの方が
よほど重要です。
だから
実際に見えないから自分にはゲートがない
ということではありません。
見なくたって信じられるんなら
見る必要ないから。
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大事なのは
ゲートという考え方です。
「自分で思っているよりも
簡単にシフトできるんだよ」
ということ
「過去がどうであっても
ぜんぜん関係ないんだよ」
ということ
「いろいろとまったく難しくないんだよ」
ということを示しています。
なぜなら
ゲートというのは、通るだけでいいからです。
思っているよりもずっと簡単なこと
というのがたくさんあります。
「過去にこんなことしちゃったから」
「過去はこんな私だったから」
「私ってこんなにひどい子だったから」
それを簡単に脱ぎなさいということでもあります。
ゲートをくぐったら
過去も新しいからです。
そんなことがあり得るということが
ゲートの意味です。
「過去」とう服は脱ぐだけです。
「そんなうまい話があり得る」という
可能性にオープンになるほど
脱ぎやすくなります。
過去はいじらない。
脱ぐだけです。
過去を脱がせてあげることは
自分に優しいことです。
脱ぐだけ、ゲートをくぐるだけです。