昨夜、「お別れの夕べ」と称された、日本の仏教的には「お通夜」と呼ばれるものに参列いたしました。
お亡くなりになられた方は、とある御縁で、小生と知り合った「日本共産党員」の方でした。まだ63歳でした。
小生とは、基本的な主義主張は、違いますが、お亡くなりになられた方は、「人間的」に尊敬できたため、小生と交流をさせていただき、小生に対して真摯な態度で意見を交換してくれました。

お亡くなりになられた方の、強い意思で、葬儀は「無宗教」形式で執り行われました。
マルクスがとなえた「共産主義」は、「宗教」を否定しておりますので、お亡くなりになられた方は、最期まで御自分の意思・主張をを貫かれ「無宗教での葬儀」を選択されました。
「そのぶれなく、信念を正々堂々と貫き通した生き様」に、反共産主義の小生でも、「敵ながら天晴れ」の思いで、参列をさせて頂きました。

葬儀の司会の方からは、亡くなられた故人に対しての献花の際には、参列者のそれそれが信仰している宗教での形式で、哀悼の意思を表示してくださってもかまいませんとの御説明があり、小生は、一瞬、仏教形式の「合掌」若しくは神道形式の「偲び手」で、哀悼の意を表しようと思いましたが、亡くなられた方の「無宗教」の意思を尊重し、深い「一礼」をさせていただきました。
小生の宗教感よりも、亡くなられた方の宗教感を優先させるべきとの判断をいたしたためです。

謹んでお悔やみを申し上げます。

南朝鮮(大韓民國)は、かつて国家主導のもと、キーセン観光を行っていた、売春国家である。
このような國に、従軍慰安婦の問題が提起されるいわれはない。
南朝鮮よ、恥を知れ!

他人に御自分の意見を御発言されるときは、その相手方に反論の機会をあたえるべきと考えます。


そうでないと、「ただの嫌がらせ」


それか、その御発言には、信念も責任も持っていないとも受け取りますよ。


エリザベスさん、どうぞ、小生に反論の機会をあたえてくださいませ。

70年前の今日、大日本帝國は、亞米利加合衆國に対し、真珠湾攻撃を行い、大東亞戦争が開始されました。
ABCD包囲網で、苦しめられ、ハルノートを突き付けられ、やむにやまれず開戦に踏み切りました。
大日本帝國陸海軍の、暗号無線は、事前に、亞米利加合衆国に解読され、真珠湾攻撃は、亞米利加合衆国の空母を沈める事が出来ずに、奇襲の効果はありませんでした。
また、亞米利加合衆国に駐在しておりました大日本帝國の大使館の職員が、飲みに行って、亞米利加合衆國に宣戦布告をするのが遅れてしまうという大失態を行ってしまい、亞米利加合衆國は、「リメンバー・パールハーバー」をスローガンに、合衆國内の世論と國際的にも「戦争の大儀」を得て、戦争に突入してしまいました。
大東亞戦争は、亞米利加合衆國の情報戦と物量作戦によって、敗戦を向かえました。

我々日本人は、現在も続く亞米利加のしたたかさを学び取り、情報戦というものをしっかりと理解しなければならないと思います。

また、戦争というものは、外交手段の最後の最後のカードであり、ギリギリまで回避せねばならないと思慮いたします。

この大東亞戦争での英霊の方々、亞米利加合衆國の明らかな國際法違反行為である日本國内の空襲・沖縄地上戦・広島長崎での原子爆弾の使用による非戦闘員への攻撃で亡くなられた方々、及び、亞米利加合衆國の兵士で戦死された方々のすべての皆様方に対し、謹んで、哀悼の意を表します。

「七生報國(しちしょうほうこく)」-三島由紀夫



本日、11月25日は、三島由紀夫氏の命日です。


41年前の昭和45年11月25日、三島氏は、「楯の会」の会員4名とともに自衛隊市ヶ谷駐屯地で、東部方面総監を監禁し、自衛隊員に決起を促す「檄」を飛ばしたのち、切腹し自決されました。


その時の「檄文」です。(以前にもブログに掲載しましたが、改めて掲載いたします) 


 「檄」   楯の會隊長  三島由紀夫



われわれ楯の会は、自衛隊によって育てられ、いわば自衛隊はわれわれの父でもあり、兄でもある。その恩義に報いるに、このような忘恩的行為に出たのは何故であるか。

かえりみれば、私は四年、学生は三年、隊内で準自衛官としての待遇を受け、一片の打算もない教育を受け、又われわれも心から自衛隊を愛し、もはや隊の柵外の日本にはない「真の日本」をここに夢み、ここでこそ終戦後ついに知らなかった男の涙を知った。ここで流したわれわれの汗は純一であり、憂国の精神を相共にする同志として共に富士の原野を馳駆した。このことには一点の疑いもない。われわれにとって自衛隊は故郷であり、生ぬるい現代日本で凛冽の気を呼吸できる唯一の場所であった。教官、助教諸氏から受けた愛情は測り知れない。しかもなお、敢えてこの挙に出たのは何故であるか。たとえ強弁と云われようとも、自衛隊を愛するが故であると私は断言する。
 われわれは戦後の日本が、経済的繁栄にうつつを抜かし、国の大本を忘れ、国民精神を失い、本を正さずして末に走り、その場しのぎと偽善に陥り、自ら魂の空白状態へ落ち込んでゆくのを見た。政治は矛盾の糊塗、自己の保身、権力欲、偽善にのみ捧げられ、国家百年の大計は外国に委ね、敗戦の汚辱は払拭されずにただごまかされ、日本人自ら日本の歴史と伝統を涜してゆくのを、歯噛みをしながら見ていなければならなかった。 

われわれは今や自衛隊にのみ、真の日本、真の日本人、真の武士の魂が残されているのを夢みた。しかも法理論的には、自衛隊は違憲であることは明白であり、国の根本問題である防衛が、御都合主義の法的解釈によってごまかされ、軍の名を用いない軍として、日本人の魂の腐敗、道義の頽廃の根本原因を、なしてきているのを見た。もっとも名誉を重んずべき軍が、もっとも悪質の欺瞞の下に放置されて来たのである。自衛隊は敗戦後の国家の不名誉な十字架を負いつづけて来た。自衛隊は国軍たりえず、建軍の本義を与えられず、警察の物理的に巨大なものとしての地位しか与えられず、その忠誠の対象も明確にされなかった。われわれは戦後のあまりに永い日本の眠りに憤った。自衛隊が目ざめる時こそ、日本が目ざめる時だと信じた。自衛隊が自ら目ざめることなしに、この眠れる日本が目ざめることはないのを信じた。憲法改正によって、自衛隊が建軍の本義に立ち、真の国軍となる日のために、国民として微力の限りを尽すこと以上に大いなる責務はない、と信じた。
 四年前、私はひとり志を抱いて自衛隊に入り、その翌年には楯の会を結成した。楯の会の根本理念は、ひとえに自衛隊が目ざめる時、自衛隊を国軍、名誉ある国軍とするために、命を捨てようという決心にあつた。憲法改正がもはや議会制度下ではむずかしければ、治安出動こそその唯一の好機であり、われわれは治安出動の前衛となって命を捨て、国軍の礎石たらんとした。国体を守るのは軍隊であり、政体を守るのは警察である。政体を警察力を以て守りきれない段階に来て、はじめて軍隊の出動によって国体が明らかになり、軍は建軍の本義を回復するであろう。日本の軍隊の建軍の本義とは、「天皇を中心とする日本の歴史・文化・伝統を守る」ことにしか存在しないのである。国のねじ曲った大本を正すという使命のため、われわれは少数乍ら訓練を受け、挺身しようとしていたのである。
 しかるに昨昭和四十四年十月二十一日に何が起ったか。総理訪米前の大詰ともいうべきこのデモは、圧倒的な警察力の下に不発に終った。その状況を新宿で見て、私は、「これで憲法は変らない」と痛恨した。その日に何が起ったか。政府は極左勢力の限界を見極め、戒厳令にも等しい警察の規制に対する一般民衆の反応を見極め、敢えて「憲法改正」という火中の栗を拾はずとも、事態を収拾しうる自信を得たのである。治安出動は不用になった。政府は政体維持のためには、何ら憲法と抵触しない警察力だけで乗り切る自信を得、国の根本問題に対して頬かぶりをつづける自信を得た。これで、左派勢力には憲法護持の飴玉をしやぶらせつづけ、名を捨てて実をとる方策を固め、自ら、護憲を標榜することの利点を得たのである。名を捨てて、実をとる! 政治家たちにとってはそれでよかろう。しかし自衛隊にとっては、致命傷であることに、政治家は気づかない筈はない。そこでふたたび、前にもまさる偽善と隠蔽、うれしがらせとごまかしがはじまった。
 銘記せよ! 実はこの昭和四十四年十月二十一日という日は、自衛隊にとっては悲劇の日だった。創立以来二十年に亘って、憲法改正を待ちこがれてきた自衛隊にとって、決定的にその希望が裏切られ、憲法改正は政治的プログラムから除外され、相共に議会主義政党を主張する自民党と共産党が、非議会主義的方法の可能性を晴れ晴れと払拭した日だった。論理的に正に、この日を境にして、それまで憲法の私生児であつた自衛隊は、「護憲の軍隊」として認知されたのである。これ以上のパラドックスがあろうか。
 われわれはこの日以後の自衛隊に一刻一刻注視した。われわれが夢みていたように、もし自衛隊に武士の魂が残っているならば、どうしてこの事態を黙視しえよう。自らを否定するものを守るとは、何たる論理的矛盾であろう。男であれば、男の衿がどうしてこれを容認しえよう。我慢に我慢を重ねても、守るべき最後の一線をこえれば、決然起ち上るのが男であり武士である。われわれはひたすら耳をすました。しかし自衛隊のどこからも、「自らを否定する憲法を守れ」という屈辱的な命令に対する、男子の声はきこえては来なかった。かくなる上は、自らの力を自覚して、国の論理の歪みを正すほかに道はないことがわかっているのに、自衛隊は声を奪われたカナリヤのように黙ったままだった。
 われわれは悲しみ、怒り、ついには憤激した。諸官は任務を与えられなければ何もできぬという。しかし諸官に与えられる任務は、悲しいかな、最終的には日本からは来ないのだ。シヴィリアン・コントロールが民主的軍隊の本姿である、という。しかし英米のシヴィリアン・コントロールは、軍政に関する財政上のコントロールである。日本のように人事権まで奪はれて去勢され、変節常なき政治家に操られ、党利党略に利用されることではない。
 この上、政治家のうれしがらせに乗り、より深い自己欺瞞と自己冒涜の道を歩もうとする自衛隊は魂が腐ったのか。武士の魂はどこへ行ったのだ。魂の死んだ巨大な武器庫になって、どこかへ行こうとするのか。繊維交渉に当っては自民党を売国奴呼ばはりした繊維業者もあったのに、国家百年の大計にかかわる核停条約は、あたかもかつての五・五・三の不平等条約の再現であることが明らかであるにもかかわらず、抗議して腹を切るジエネラル一人、自衛隊からは出なかった。
 沖縄返還とは何か? 本土の防衛責任とは何か? アメリカは真の日本の自主的軍隊が日本の国土を守ることを喜ばないのは自明である。あと二年の内に自主性を回復せねば、左派のいう如く、自衛隊は永遠にアメリカの傭兵として終るであらう。
 われわれは四年待った。最後の一年は熱烈に待った。もう待てぬ。自ら冒涜する者を待つわけには行かぬ。しかしあと三十分、最後の三十分待とう。共に起って義のために共に死ぬのだ。日本を日本の真姿に戻して、そこで死ぬのだ。生命尊重のみで、魂は死んでもよいのか。生命以上の価値なくして何の軍隊だ。今こそわれわれは生命尊重以上の価値の所在を諸君の目に見せてやる。それは自由でも民主主義でもない。日本だ。われわれの愛する歴史と伝統の国、日本だ。これを骨抜きにしてしまった憲法に体をぶつけて死ぬ奴はいないのか。もしいれば、今からでも共に起ち、共に死のう。われわれは至純の魂を持つ諸君が、一個の男子、真の武士として蘇えることを熱望するあまり、この挙に出たのである。

熱望するあまり、この挙に出たのである。







三島氏は、自決される少し前に、「果し得てゐない約束」というエッセイで、


「私はこれからの日本に大して希望をつなぐことができない。このまま行ったら「日本」はなくなってしまふのではないのかといふ感を日ましに深くする。日本はなくなって、その変はりに、無機質な、からつぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、或る経済大国が極東の一角に残るのであらう。・・・」


と表現されました。


41年後の日本は、経済大国でもなくなり、国の大本を忘れた政治家のみが残り、国民は未曽有の不景気のあおりを受け、自殺者が年間3万人にもなってしまい、「政治は矛盾の糊塗、自己の保身、権力欲、偽善にのみ捧げられ、国家百年の大計は外国に委ね、敗戦の汚辱は払拭されずにただごまかされ、日本人自ら日本の歴史と伝統を涜してゆくのを、歯噛みをしながら見ていなければならなかった。」との檄文の内容が今も続いているのが現状だと思います。


今、改めて、三島氏が、命をかけて訴えたことを、考えていきたいと思います。


謹んで、三島由紀夫氏と森田必勝氏の、御冥福を御祈り申し上げます。 








     


増税する前にまずこれを削れというものブログネタ:増税する前にまずこれを削れというもの 参加中



「国会議員の歳費」と、「政党助成金」。

「隗より始めよ」という言葉を知って頂きたい。

と言っても、今のような「知識」も「思考能力」も「人間としての心」も欠如し、自己保身と自己利益しか考えていない「国会議員」には、「馬耳東風」なのでしょう。



今上陛下の御体調を、心配しております。

御高齢にもかかわらず、御公務がいっぱいです。

現在、皇太子殿下に、御公務を代理されていらっしゃることですが、御高齢のことを考えると、皇太子殿下に「摂政」となっていただくことも検討されてもよいのかなと思っております。

また、「皇室典範」を今のような内容ではなく、改正すべきと思います。
戦後66年。国会議員は、天皇陛下と御皇族の方々を本当に敬ってきたのでしょうか?