昨夜、「お別れの夕べ」と称された、日本の仏教的には「お通夜」と呼ばれるものに参列いたしました。
お亡くなりになられた方は、とある御縁で、小生と知り合った「日本共産党員」の方でした。まだ63歳でした。
小生とは、基本的な主義主張は、違いますが、お亡くなりになられた方は、「人間的」に尊敬できたため、小生と交流をさせていただき、小生に対して真摯な態度で意見を交換してくれました。
お亡くなりになられた方の、強い意思で、葬儀は「無宗教」形式で執り行われました。
マルクスがとなえた「共産主義」は、「宗教」を否定しておりますので、お亡くなりになられた方は、最期まで御自分の意思・主張をを貫かれ「無宗教での葬儀」を選択されました。
「そのぶれなく、信念を正々堂々と貫き通した生き様」に、反共産主義の小生でも、「敵ながら天晴れ」の思いで、参列をさせて頂きました。
葬儀の司会の方からは、亡くなられた故人に対しての献花の際には、参列者のそれそれが信仰している宗教での形式で、哀悼の意思を表示してくださってもかまいませんとの御説明があり、小生は、一瞬、仏教形式の「合掌」若しくは神道形式の「偲び手」で、哀悼の意を表しようと思いましたが、亡くなられた方の「無宗教」の意思を尊重し、深い「一礼」をさせていただきました。
小生の宗教感よりも、亡くなられた方の宗教感を優先させるべきとの判断をいたしたためです。
謹んでお悔やみを申し上げます。
お亡くなりになられた方は、とある御縁で、小生と知り合った「日本共産党員」の方でした。まだ63歳でした。
小生とは、基本的な主義主張は、違いますが、お亡くなりになられた方は、「人間的」に尊敬できたため、小生と交流をさせていただき、小生に対して真摯な態度で意見を交換してくれました。
お亡くなりになられた方の、強い意思で、葬儀は「無宗教」形式で執り行われました。
マルクスがとなえた「共産主義」は、「宗教」を否定しておりますので、お亡くなりになられた方は、最期まで御自分の意思・主張をを貫かれ「無宗教での葬儀」を選択されました。
「そのぶれなく、信念を正々堂々と貫き通した生き様」に、反共産主義の小生でも、「敵ながら天晴れ」の思いで、参列をさせて頂きました。
葬儀の司会の方からは、亡くなられた故人に対しての献花の際には、参列者のそれそれが信仰している宗教での形式で、哀悼の意思を表示してくださってもかまいませんとの御説明があり、小生は、一瞬、仏教形式の「合掌」若しくは神道形式の「偲び手」で、哀悼の意を表しようと思いましたが、亡くなられた方の「無宗教」の意思を尊重し、深い「一礼」をさせていただきました。
小生の宗教感よりも、亡くなられた方の宗教感を優先させるべきとの判断をいたしたためです。
謹んでお悔やみを申し上げます。