★サムライに学ぶ「死生」と教育「姿勢」の批評
「侍」という漢字には、元来 「貴族のそばで仕えて仕事をする」という意味がある。それもあって、彼らは「如何に死ぬか」、言い方を変えれば「この命を何に差し出すか」を常に問い続けていた人達だと思う。
「死」を片時も忘れなかったから、命の尊さに気付き、二つとない命の使い方に真剣になれたのだと私は感じる。
それこそ、いつか死ぬ身であることを日頃から胸中に落とし込んでいるから、ここ一番の時には人の為に惜しみなくその命を燃やせたのだろう。
社会的な風潮として「死」をタブーとしているように感じる。NGワードとしてあらゆるサイトで引っかかるのも分かりやすい例だろう。
その背景のひとつには教育も絡んでくると私は思う。
つまりは義務教育で死を説かないこと。直視しないこと。
「死」と向き合うのは、「生」と向き合うことでもあり、同時に「自分自身」と向き合うことでもある。
下手な教育はそれを歪んだものに変えてしまう。
あいまいな表現でごまかしたり、「死」を恐怖として子供心に植え付けたり。時にはタブーとして死を取り上げることすらなかったり。私に言わせればそれは職務怠慢に値する。
だから本質が見えなくなり、人生の迷子が増えると勝手に解釈する。
日本ではよく「侍JAPAN」など頭に侍をつけた文言を見かける。
何だかんだいって、サムライ魂には誇りを持っているのだろう。
今ある自身の「命」について、しっかりと向き合ってもらいたいし、子供達にもありのままを伝えていくのがあるべき姿だと思う。
何かに躓いて迷ったら、深く考えずに「今日が人生最後の一日だ」と思って時間を使えばいい。過ぎ去った過去や、来るかも分からない未来なんかに惑わされないでほしい。変えられるのも、感じることができるのも、今この瞬間に他ならないのだから。