地獄の24時間を乗り越えた日の次の日、経過も順調ということでついに点滴の管が外された。
 
それはつまり、「食事の再開」を意味する。
 
 
病院食なんて質素で美味しくないでしょ。
 
 
どうしてもそんなイメージを持ってしまう。
 
 
点滴終了後、最初に配膳されたお粥200gは、わんこそばのように一瞬にして飲み込まれた。
 
 
激うまい、、、そして足りない、、、、、
 
 


10年前の記憶がフラッシュバックしてきた。
 
 
 
「なんでXXさんのトレーに豚肉が乗ってるの!?」
 
 
怒鳴り声が聞こえた。
 
 
当時入社3年目の俺は、会社の出資先の一つである給食サービス会社の現場研修を受けていた。
 
 
その会社は「総合給食サービス」を掲げており、社会のあらゆる施設に食事を提供するサービスを行っている。
 
当時研修で俺が現場経験を積んだ施設は、社員食堂に始まり、高齢者施設、スポーツ強化施設、そして病院だった。
 
そして一番つらい思いをしたのは病院だった。
 
 
まず、病院食の準備の始まりは早い。一般的に朝8時の配膳に間に合わせるには、5時から準備が始まる。
 
当然だが、ランチだけの社員食堂と違い1日3食の提供だ。
 
また、病院食では個々の患者さんの病気、アレルギー等に応じて、「個別化」の対応が必要になる。
 
あらゆる食事で、最もミスが許されない個別対応である。
 
現場での俺の担当は「豚肉切り」だった。
 
300床程度の病院だった為、300人分の豚肉を巨大な鍋で煮込み、茹で上がった豚肉を巨大なまな板の上で、刃渡り50~60cm程の巨大な包丁を使って、ドシドシと刻んでいく作業を任された。
 
作業を始めて数十分後には、手の握力が無くなり、肩の筋肉がつりそうになっていた。
 
切った豚肉はキャベツを添えて小皿に盛り、ドレッシングをかけた。
 
 
最後に、その小皿を個々の患者さんのトレーに乗せるのだが、そこは栄養士の仕事だった。
 
 
「なんでXXさんのトレーに豚肉が乗ってるの!?」
 
 
怒鳴り声が聞こえた。
 
 
「申し訳御座いません。」
 
 
盛りつけられたトレーをチェックしていた先輩栄養士が、トレーに乗せた若手栄養士に対して、声を荒げていた。
 
 
「肉禁って書いてあるじゃん。XXさん、なんで肉禁かわかる?」
 
 
「・・・。」
 
 
「ここに書いてある通り、XXさん、腎不全の患者さんだよ?ってことは低タンパク食だよね?ちゃんと一人一人の患者さんの病気を理解して確認しながら配膳しないと大変なことになるよ」
 
 
「はい、申し訳御座いませんでした。」
 
 
腎不全の患者は、まず食事から腎臓の負担を減らす必要がある。
 
脂質・糖質・タンパク質の3大栄養素の内、タンパク質だけは呼吸とか汗では消費・排出されない老廃物(尿素とか窒素とか)が含まれる。
 
それらを除去して体外に排泄するのが腎臓の役割だが、その負担を減らしてあげる食事療法が基本となっている。
 
 
そもそも給食を準備する施設は閉鎖的で、熱がこもり暑苦しく、過酷な肉体労働である。
 
加えて、ミスが許されないという重圧がのしかかっている。
 
もちろん、給食の製造側でチェックした後、患者さんに提供される前に、病棟フロアにいる栄養士や看護師による最終確認があるので、間違えたままに提供されることは無いのだが、万が一ミスが起こったら重大な信用問題となる為、ミスは起こせないのだ。
 
こうした現場での日々の苦労の末、食事は提供される。
 
 
2日ぶりに食べた食事は、激うまだった。
 
 
ちなみに、今回の入院生活では、「牛乳はやめときます」と病院の栄養士さんに伝えていた。
 


「でも、ヨーグルトとかシチューは食べたいです」
 


ただのわがまま野郎だったが、しっかりと対応して頂けた。
 
 
 
食事以外でも、毎日交換される入院着にも思い出がある。
 
同じように会社の投資先でユニフォームレンタル会社の現場研修を積んだからだ。
 
工場の作業服とか、病院の患者服とかを提供し、回収し、洗濯し、また提供するサービスだが、この「回収」の工程を経験した。
 
人が着た服は重たい。病院ではバスタオルも一緒に回収されるので、半分は水分の重さだ。
 
各病棟フロアを回り、一袋15kg以上のバッグを回収し、トラックに載せて洗濯工場に運ぶ。
 
これも大変な肉体労働だ。
 
 
病室やトイレの清掃も骨の折れるサービスだ。
 
個人的にも、事業パートナーだったダスキン社と、トイレ清掃の現場を経験したことがある。
 
とにかく、世の中は肉体労働で支えられている。
 
 
当たり前に生活することの有り難みを、この入院生活を通じて改めて痛感した。
 
 
 
 
そして今日を迎えた。


5月24日、退院日だ。
 
 
入院中の1週間ずっと雨だったが、今朝ようやく晴れてくれた。
 
 
滞在中の病院の16階フロアからは、180度都心の景色が広がっている。
 
 
すぐ近くには歌舞伎町や新大久保の街並みが、真っすぐ先には、池袋サンシャイン、そして左手の遥か彼方にはさいたま新都心(か大宮か?)のビル群がうっすら浮かんでいる。
 
 
6月1日からは仕事復帰の予定だ。
 
 

病気については、治療は一旦終了。


今後は経過観察ということで、
 
主治医からは「甲状腺の患者さんとは、普通に数十年の付き合いになるから宜しくお願いします」と言われている。
 
 
今後、健康には重々気をつけます。
 
 

皆さんも是非気をつけて下さい。





(終わり)