父親の癌検査 | 世良康雄の先祖探求とNEW ROD=LAVERへの道

父親の癌検査

父親が、胃癌かもしれないので、一週間後、その検査結果が判明します。
私は、2005年年末母親入院の際に、1997年父親入院の時の八木真澄のような女性を例に出して、母親の側についてもらう事を西宮市から自宅にFAX送付しました。結果、母親見舞いの席で「卓也妬く、まい悪い。アンある。」と母親から言われ、帰宅後弟卓也から「お前、母親死んだ時何しとってん!寝とっただけやろ!」と西神戸医療CENTERに母親冷凍睡眠の事を問い合わせしている時に、掴みかかられ、私が彼を関節技で抑えると、父親が笑顔で「卓也に眼鏡取って顔見せてみい。」と言いました。
私の父親は三男ですから、先祖の事を親から聞くのは男子では三番目で当然なように、私は卓也の兄ですから、父親から柔道を仕込まれたのも私が先ですし、先祖の事も私が父親から先に聞いていて当然です。母親の先祖にしても、実際に母親と徳之島に行って聞いたのは私ですから、その詳細を弟卓也が母親から聞いていないからという理由で私に嫉妬するのは愚の骨頂です。私の父親は、長男の影響を強く受けたようですが、私に対してもかつて祖父鹿治朗が私に怒って言ったように「儂を馬鹿にしたら、新田じゃ。」と言っていたように、私は同じ事を弟卓也に言わなければなりません。人から真実の情報を得る時には、礼儀作法が大切ですが、それは家族内の長幼思想にも関係しますし、年上の親族が明らかに間違った行為をしていない以上、やはり弟が兄に対して畏敬の念を持つ事は当然だと思います。
さて、父親の警護を八木真澄に任せたものの、三輪明宏軍団のような先祖の話を憎む集団に、年末年始の事を考えれば阻まれているようにも思いますが、私もK.G.JOB SUPPORTの職探しを考えつつ、父親の具体的な体と精神の安泰も考えなくてはなりません。男尊の高い私は卓也と逆の意味で批判されますが、父親や私が消耗品や単なる傀儡にさせられないように、誰を信じて誰に任せようか?