2025.09.06.心の火?

心の日。

こころ広がるリラックス開放感。


2025.09.06.ほんとまつ。←本当待つでは無い。

(微修正しました。)

本と末は双子。「本」と「末」は相対する左右対称の漢字、対義語でもある。原形の「木。樹木」は象形文字。

「本」と「末」の成り立ちは、「木」に「地面を表す一」か「最先端を表す一」を加える指事漢字。


指事文字は、指示が難しい抽象的物事を表現する点や線を加えて成形した漢字。

漢字の成り立ちは、大きく4つに分類。1、象形文字。2、指事文字。3、形声文字。4、会意文字。


末と未は…成り立ちが無関係、末と来も無関係。

↑「本末転倒」↓

本末が保存だろうと改変だろうと、未来は望まれた総和。

「未来の光景は…たった二人の秘密の成立から極小だが入れ換わる!一点一点一つ一つ着々と改良しながら連携する途中参加を受け入れながら…知性ある二人の未来その光景は不動で不変に有る(時の永遠性。未来は願う(真心)が産む牽引力。)←その願いは誠実ですか?」のでは?

未来の「未」。

「未<草木が在る象形文字、を転用した、草木の上部の枝葉が伸びる様子を表した象形文字」。

未来の「来」は省略形。原形の「來:畑に実るライ麦の象形文字」はライ麦の原産地イランから農業革命の作物として古代中国の夏殷帝国の時代に繁栄をもたらした。これを揶揄して「苦痛と豊かさが入って来る→来る」の意味を持たされていった。


気を持ち直す。


本末の末。

「本末(ほんまつ、もとすえ);根本と枝葉;大切と些細;本体(核や中心や中核となる部分、本業、本社)と末端;初めと終り」。

「末」。(微修正)

 末<木の最遠を横棒でしめした指事文字。「末=木+(枝葉を度外視して)最先端と最上部を強調する膨らんだ円い部分(肥点)→木の最上部→木の末端・枝先→末梢(最大範囲)→最後」。「木の末このうれ」を由来にする「こずえ梢、木ノ葉」。


本題。


「本:ほん、もと」の原形と見做す文字。←学術は断定してない。

「本」は木の下部に「土地の接する部分を表す横木→一より下が根っ子」と木の幹の根もとに印を付けた表した指事漢字。

「本」は木の字の幹の下側に肥点を打って、木の根元はここだと表す字として生まれました。

「本」の遺物。

紀元前三千年頃の古典漢文には「強調する膨らんだ円い部分(肥点)」がある。紀元前二千年頃の古典漢文になると「根元を特定する短い横棒」に整う。歴史的事実で西暦100年頃の中国で後漢の時代に紙書物が登場すると「書物一般」「書物を数える用法」になりました。現代中国語ではあまり一般的ではない、とされる。 

「本」の意味。

「ただしい(正しい知識。正しい;正式の(法律や規則など文面にして共有された組織内が正しいと認める)、本名、本物」もしくは「まこと(真実、誠実)、人間性の性根・本性・本質」<「本物、本当」<竹簡や木簡の書物その記載は信じるに値する信用<「書物が知識の大本だと解釈」する<木簡や竹簡など古代の行政つまり官職は「書写した原本。知識のお手本の書物」この書物から知識を得た。<「物事の始り、大元、本来。資本金。習う人が見て聞いて暗記する実践する物事:手本や見本」でも使用。<「竹簡や木簡の書物を数える単位は、冊」この柵(檻)の製作と「本の原形(文字を書く薄く細長く薄く加工した竹や木の札)竹簡や木簡を紐で縫い巻物にする方法。糸かがり綴り。編む←竹簡や木簡の作製で竹や木の短冊を集めて紐や縫い糸で綴る」が似ていたとされる。***一本、二本、「本」は日本独自用法で「細長いものを数える単位」これは「草や木を数える際に根(本)を数える」から発展し普及したと考えられる。<「物事の根本←草木の根は一点から張る←作物が収穫できる物事の本:物事の大切な部分」の用途を持たせた使用。<遡上すれば指事漢字であり初期設定は「草木の根本」のみだった。


 類語。

「本:物事の大切な部分。本書、本件、本人、本日、(人や物事を指す語)」。
「元:物事の始めと最初の部分」。
「基:物事を成り立たせる助ける部分、土台、」。
「下:上部は定義、影響の及ぶ範囲は下部のみ」。

木行を駆除!

枝打ち・間伐から加工品の木札にして、糸かがり綴りの木簡と冊を獲よう!




仲秋(太陰暦8月15日)は、現在のグレゴリオ暦では9月8日頃から10月7日頃。

今年。

2025年は、中秋の名月が10月6日←最終コース!乗り遅れを待っています。出雲会議が大変だ。

出雲会議にも世代がある、初日に近いほど新参の集会、挨拶まわり組は中盤に行脚、古典の柱は太陰暦にそう、終盤は最古参とゲストの残業組。

冬至から約258日目が経つ。

冬至まで107日、もぉ~ぃーくつ寝るとクリスマス♪。

留鳥は流暢にしてられない冬越し。
夏鳥は去る。
冬鳥に期待。

▶初候 9月7日 草露白 くさのつゆしろし 草に降りた露が白く輝いて見える頃。 


「重陽ちょうよう:9月9日の五節句、この一週間前に菊酒を仕込む」。しっとり。しっかり。内向性格や月や水の陰性の魅力のための祝い。


『松尾芭蕉:草の戸や 日暮れてくれし 菊の酒。山中や 菊はたおらぬ 湯の匂。』


▶次候 9月12日 鶺鴒鳴 せきれいなく セキレイが鳴き始める頃。 古典日本語でセキレイは種名というよりも小鳥たちの代名詞。


▶末候 9月17日 玄鳥去 つばめさる 春先に日本にやってきたツバメが、子育てを終え、南へ帰る。

こうして夏鳥が姿を消す

9月の眼視観測(目で見る)の流星群、9月、先月と同様。 

9月のあいさつ。新秋の候/初秋の候/新涼の候/早秋の候//日増しに秋も深まり/すがすがしい秋晴れが続きますが/朝夕はずいぶん涼しくなりました/鈴虫の音が美しいこの頃/コオロギの声が聞こえる今日この頃/初秋の空の高く爽やかな季節。


白露:はくろ:9月7日。草木に朝露が白く光る。朝露(明け方に草花は白露をのせる)の出現。秋が深まる、大気から高温が抜けて多湿が残る。季節は寒気へ向かう、衣替え。

:もや靄と朝霧は晴天の日中を約束する。

:和気藹藹。「モヤモヤ靄っとフォク」や「露つゆ」が出て来る。

:極稀に「霧が濃霧へ向かう」そろそろ雲海も。

:二十四節気の第十五番目。

:[太陽黄経165度が9月7日ごろ。黄道十二宮は処女宮(乙女座)15度から。黄道十二宮は第六軸。

ココが前半期(春分からほぼ半年)の終了。


◆秋 分:9月22日: しゅうぶん:昼と夜の長さがほぼ同じになる日。 暑さ寒さも彼岸まで。

黄道十二宮は後半期が第七宮(第一軸)で始まる。