昨年の今日、「よも」は旅立ちました。
正確には私が旅立たせました。
思い出すと辛くて今も悲しくなりますが、
よものことちゃんとブログに残しておきたくて
頑張って書くことにしました。
2018年の1月のよも。
この時はこんなに早くお別れするなんて思ってもみなかった。
亡くなる少し前から、ゴハンの食い付きが良くないと思い、
病院へ連れて行ったのが、昨年6月26日(火)の午前中。
ちょっと後ろ足がふらついてて、ゴハン食べれてなくて
力が出ていないんだ・・・と、ばかり思っていました。
血液検査をしたところ、腎不全が初期になってることが
分かりましたが、原因は昨年初めから乳腺腫瘍の
疑いがあり、サプリメントを与えていたので
さほど大きくなっておらず、小さいままの
状態で、このまま何事も無いと思っていましたが、
どうやら腫瘍は小さいままであったけれど、
静かによもの体を蝕んでいたようで、
腫瘍が脳へ転移した可能性があると言われました。
その日の夜には下半身が動かなくなってしまいました。
よもは何故急に立てなくなったのかが
分からないとでも言うように私に向かって
にゃーにゃー訴えているような気がしました。
そして眼震が出てきて、
顔が揺れてご飯も食べずらくなっていきました。
どんどん症状が出てきて、病院では眼震の症状が出てきたら
今度は呼吸が苦しくなってきて、徐々に溺れた状態になり、
最後は呼吸困難で心停止になるとのことでした。
よもは女の子だけど、その割には体重が重く、
体力はあるので、それだけに長い時間
苦しむことになるかもしれないと思いました。
よもの呼吸はすぐに荒くなってきました。
生まれてからずっと一緒に過ごしてきた
「しろ」がよもの傍にずっと居てくれました。
翌日にはどんどん呼吸は荒くなり、よもは私に向かって
「にゃーーー」と大きな声で鳴きました。
私に助けてくれと言っているような気がしました。
楽にしてあげられるのは私しか居ない。
28日の夜に先生に電話して、病院へ連れて行きました。
先生は、もう一度、調べさせてほしいと言って
何とか良い方法を探してくれましたが、
やっぱり何も分からず、残された道は一つだけでした。
よもは数秒で穏やかになりました。
先生も泣いてました。
命を自由にして言い訳がありませんが、
私にはこの選択しかしてあげられること有りませんでした。
その代わり私はどんな罰を受けてもいいと思っています。
よもが帰宅すると、またしろが傍に寄り添ってました。
よもの肉級も撮っておこう。
しろ、さびしいね。
先生からお花が届きました。
みんなお別れだよ。
西区の山の上にある神社に連れて行きました。
お花多すぎたかな。
大好きなお肉もあるよ。
よもが空に昇っている間は雲がいっぱい広がってましたが、
私には心地よく、1時間よものことを思いながら過ごしました。
こんな姿になりました。
神社の方に、「お名前お間違い無いですか?」と
聞かれたのに、簡単な名字だから間違えてる訳ないし、
悲しくて確認もそこそこに「はい」なんて言ってましたが、
帰ったら見事に名字が間違っていた(笑)
悲しみの中でもちょっと笑えて良かったと思います。
神主さんの狙いなのかも(笑)
よもは2014年の5月に初めて出会いました。
よもはお腹に赤ちゃんを抱えて、
生まれる前に保護しようと思っていて、
産箱まで、ニャン友代表に作ってもらって準備してたのに
外で2匹の子猫を出産してしまいましたが、
子猫と共に保護しました。
その時にはしろも一緒にいました。
(写真横向きですが、)
一所懸命子育てして・・・
我が家にやってきました。
この時はまだ、警戒心が強くて、一度だけ後ろから
噛みつかれたことがありました
でもだんだん馴染んできて、生活音にも慣れてきて、
こんなおもしろ顔もするようになりました
お気に入りの写真です
そして私の背中の上に乗ることが好きな猫になりました。
4年間しか一緒にいられなくて後悔だらけだけど、
許してもらえるなら、虹の橋で待っててほしい。
絶対によものこと見つけるから、
それまで、待っててくれますように。