父の足がなくなって車椅子になったらどうしたらいいかずっと考える日々が続きました。

なぜかあれだけ嫌がっていた母が
病院に毎日顔を出す様になりました。

今思えば、父の貯金目当てだったと思います。

父は、10年以上障害者年金を貰っていました。
結構な額だったと思います。

その貯金目当てで通っていたようです。

そんな事ないよ、って思う人もいると思いますがそれが母なんです。

透析病院に戻ってから
壊死も進み
本当は、ダメらしいけど
毎日の様に透析をしたらしいです。
そろそろ覚悟して下さいってお医者さんに言われて
泣きながら子供達を連れて実家に行きました。

兄も毎日の様に仕事帰りに寄って付き添っていました。

一週間もなかったと思います。

朝、電話があってだめだと…
すぐに用意をして病院に駆けつけましたが
もうすでに全て終わってました。

お葬式の準備などしなきゃ行けないけど
兄から
お前は、嫁いでいるんだからこっちでやると言われて全く口は出しませんでした。

結果、葬儀屋さんの狭い部屋を借りて
病院からそのままそこに移されました。

来ていただいた方にも最期のお別れもさして上げれないぐらい狭くて

丁度、震災のすぐ後だったので
余震がすごく極力ろうそくはつけない様にとも言われました。

全て終わって遺骨を抱いて帰って来た時、やっとお家に帰れたね
ごめんね
って心の中で思いました。

ど田舎から東京に出てきて
たくさん苦労して
こんなお葬式あり?
って今でも思っています。

次は、兄の事にします。