怒りっぽいひと、ってね | フツーのタロット占い師のへなちょこ部屋

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ぬはイ。

明日はこちら関東でも雪が降るかも?な予報で、

明日の29日こそが柏タイ料理ジャンジャーオにてのスペシャルイベントなんだよお天道様よう!←

って思ってたら(今のところ)活動開始時間はほぼ曇り?なんで胸をなでおろしているわたしですこんばんは☆←相変わらずのウザさ!w


さて、タイトル。

『怒りっぽいひとってね』

うん。
だからなんじゃい!!!と突っ込みたくなる感が満載のタイトルですが。←

わたしのばっちゃが言ってた。。。

怒りっぽい人や、いつも怒ってる人っていうのはねえ、ほんとうはとってもさみしくて、可哀想なひとなんだよ。

って。

まあばっちゃが言ってたんじゃなくて尊敬する方からの言葉なんですが(ばっちゃなんて言ったらシメられて美味しいハムになっちゃうよわたし。。。)この言葉の意味も最近になってようやくわかってきました。

怒るって、大きい声を出したり暴力的な言動や理不尽な根っこから来てる怒る、がこの記事のメインなんですが(←)そういう怒り方する人ってさ、きっと多分

自分に注目してほしい!
自分を中心として考えてほしい!

というのが根っこにあって。

それって、よくよく考えると『さびしい』からだよね。

自分が誰からもまともに相手されなくて、だからますますコミュニケーションスキル低くなっちゃって、相対するひとの都合とかね、そういうことに考えを巡らせるってこともできなくて相手の地雷踏んだり無愛想な態度をとられてしまう。

そして、また『怒り』を爆発させてますます自分の周囲からひとが離れていく→さびしい→対人関係の失敗→癇癪起こす→人が離れていく→さびしい、、、って悪循環なんだけれど。

これも困ったことに、その『本人』は自分のことを

正当な主張を正当な方法で述べている正当な人間だ!

って思ってるのが大概なんだよね。
まあまさに、ウチの父がまーさーにこんなカンジのヒトですけれども!!!(爆)

自分の基準で動く、ってのは、だれだって同じです。
けれど、そこに自分以外の『だれか』が関わるのならば、そのひとのことを考えて、想像して動くってしないと関係性としてうまくはいかないでしょう。

朝からお昼までは仕事、だけど夜は時間あるよ!って生活リズムの人や、夕方から仕事で朝も早いんだ~、って人もいるでしょう。

明日はぎっちり予定が詰まってるから休みたいんだ!ってのも、平日だけど休みでヒマしてるよ!って場合も、そこにどういうふうに『自分の都合』をうまく織り込んでいくのかを考える、ってのが人間関係なんじゃない?って、まあコレ当たり前なんだけれど思います。

んで、怒りっぽい人、いっつも怒ってるようなさびしいひとはね、急にわーってさびしくなっちゃったりさ、逆に自分が楽しくなってテンションあがっちゃうと、そういう『他人の都合』なんかおかまいなしにとりあえず突進しちゃう。
相手のことを思いやるって部分をちょびっと忘れちゃうんですね。

それで、自分にも、相手にも不愉快な思いをさせちゃって、ますます孤独感を深めていく。

・・・・わたしね、この『怒る人はさびしいひと』って言葉をもらったときにね、


はあ?くだらないことで、自分の都合を押し付けるってことで拒絶されて勝手にキレて、それでさびしい?さみしいんだって訴えが怒るってこと?バカじゃないの、そんなん当たり前じゃん!
嫌われることを自分からやっといてナニ言ってるワケ?


みたいにね、思いまして。
まあ今でもぶっちゃけそう思う部分は大いにあるんですが。←

なんだっけな、『真夜中のパン屋さん』って本だったっけ???
とにかく、この怒る、ってのとはちょっと違うんだけれど、威圧的な態度で脅すような男性にね、主要人物の一人が向かうの。

「あなたの言葉は、脅しとコントロールがほとんどなんですね。そういう中で、生きてきたんですか?

だとしたら、それは大変だったなと思います。同情します。その中で生き抜くのは大変だったと思うから。

だけど、それはだれかやなにかを貶めていい理由にはなりません」

って。(ええと記憶があやふやな上に手元に本がないんで正確ではないですごめんなさい!)

わたしはこの意見にまるっと同意です。

ちっちゃいこどもの頃とかね、まあ『大人』になるまで、なってからも、どこかから抑圧されたり差別を受けてたりでこころに傷を負っても、言動にちょびっと歪みが出たとしても。

その、自分を守らなければならない『戦場』で生き抜いてきた、ちいさなあなたにはこころから大変だったね、って声をかけて抱きしめてあげたいけれど。

そこから、そのマイナスの連鎖から抜け出すちからを持っていて使わないのはどうなの?と思うのです。

ちいさなあなたは、理不尽な怒りをぶつけられるいたみも、暴力と暴言にさらされるこわさも散々味わってきたでしょう。
なのに、大きくなったあなたが、一番自分で味わいたくないものを、今度はその弱きものにぶつけるの?
あなたは、なにを、経験し。
なにを、糧としてきたの。

冷静に話し合えるならね、そういうふうにきいてみたい。
んでもって、

どうせ自分は常識の基準も教えてもらってないから・・・・
とか、
この自分のなにが悪いんだ!
って返されたら、

わからないことは恥ずかしいことじゃあないから、わかるひとに、わかりあいたいひとにききなさい

って言いたい。
ほんっとに単純なハナシでさ、自分のなにが、どこが悪いんだ?わからんわ!ってなってさびしいんなら、それを側にいてくれるだれかにきけばいい。

そこからやっと、さみしくて怒るってループから抜け出せるって思うのです。

うん。
願わくば。
さみしい怒りんぼさんがこの記事を読んでくれたら嬉しいなあ。
んでもって、さみしい怒りんぼさんが側にいるよ!ってひとも、読んでくれてたら嬉しい。

いつもどーりの安定の支離滅裂さですが!!!←

ここまで読んでくれてありがとう。

ありがとう。
ありがとう。

あいしているよ。