支離滅裂にもほどがある・・・・ | フツーのタロット占い師のへなちょこ部屋

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まったりと、どーでもいいことからちょっと真剣な話まで。

タロットのことや日常織り交ぜたへなちょこブログです。



ええと。
こんばんは☆←

テーマがね?いつものアレだから、賢明な方は華麗にプラウザバックしてください☆←
特に今回はちょっとなんかもーほんとアレなんで、後味悪いようなカンジになるかと思われるので、重いテーマとかってNG!な方は本当に注意してくださいませ。。。






















ひとの価値観、って、個人差がありますね。
大震災、そして今日の竜巻被害に対しても、『自分は被害を受けていないから』『これはニュースの中の出来事だから』というスタンスで、自分の日常の中の些細な一コマとするひともいる。
うん。
それは、それでアリだとは思います。
わたしにはそれを否定するなにか、がなにもないから。
全面肯定とはできないけれど、こういうことを日常の一コマに組み込めるひとたちがいるから社会が成り立っている部分はあると思うから。

もちろん、オモテに出さないだけでひとり、様々な感情を抱えて普通に振舞っている方もいるでしょう。こういった自然災害ではなくても、ひとりひとり、なにかしら悩みや悲しみや切なさもやりきれない思いも抱えているから。
いつも明るい笑顔のひとに、悩みがない。なんて。
そんなことあるわけない。

・・・・わたしは、ものすごく今更感満載で、しかも『知ってるよ!』と全力で突っ込まれそうですが(←)ものすごく打たれ弱いです。←
だれか、や、なにか、の感情にも引きずられやすいです。
喜びの感情にも感化されますが、悲しみの感情により多く引きずられてしまう傾向があると思います。

場を不愉快にさせるような攻撃的なコトバや態度をとる人に対してはものすごくココロ狭くなってしまうし、時と場合によっては青白い怒りの炎を燃やし続けてずっと許さない、許せないという自分にも相手にも不幸な連鎖をダラダラと持続させてしまったりもします。

最近になって、やっと不要だと判断したものを手放す術を覚え、実行できるようになりましたが、それでも。
何度も何度も狙いすましたように『避けてね』って看板立ててる地雷を踏みぬかれると、怒りとかそういうの通り越して無反応・無関心になります。
いちばんよろしくない、精神の状態。アパシー。そんなんだれも、わたしだってなりたくないのにね。

わたしのもとに届く、もう生きていく気力がない・もう死んでしまいたい、そういったSOS。
わかるよ。
わたしも、そこにずーっとながいこといて、今も多分一部分はそことつながっていて、そこにいることがどんなに・・・・なんて言えばいいんだろう?

真黒な、透明さを。

わたしは知ってるよ。
それにのみこまれた時の、どうしようもないカンジ、いまちょうど強く感じてるからよくわかる。

だからね、軽々しくは使ってほしくないんだ。
言葉には、魂が、言霊が宿っているから、そういうかなしいことばは使ってほしくないんだよ。
使うひとにとっては、そのひとのなかでとても重いことばでしょう。
だけど、だからこそ。
違う言葉で、発散してもらいたいのです。そのオモイを、違うカタチで。
伝えてほしいのです。

大きな血管を避ければね。
切り裂いた肌は、はじめからたくさんの血を流さない。
しろい脂肪の層と、筋肉。その境目がぱかりと口をあけて漸く体液が出るの。
リアルタイムでみていても、それはスローモーションみたいだよ。

ココロを切り裂く使い方のコトバも同じだよ。
ゆっくり切っ先が食い込んで、コトバのヤイバの冷たさが内側に届く、それを感じた瞬間に一気に切り裂かれる。

・・・・そんな使い方は、してもらいたくない。

ひとの身体は傷つけられるためにあるのではなく。
大地を踏みしめて歩き、両手で誰かを抱き締めたりなにかを創りだしたり。美しいものを見たり、花の香りを、緑や水や、潮のにおいを感じて、オトを感じる。
そのためにあって。
ひとのこころは、愛して、愛されるためにあるんでしょう。
それを伝えるのが、言葉でしょう。

自分だけ、モノクロの世界で。自分も白黒で。
他のひとは極彩色でキレイにみえて、でもそれは。

みんなみんな、おんなじだよ。

少なくとも、そういう部分は誰にでもあると、わたしは思うよ。

・・・・独りじゃできない。誰かに『助けて!』って叫ぶ。
それは、勇気です。
だけど、度を越せば、それは依存になってしまう。
コトバを重ねて何度も使えばそれはホントウになる。

だから、ほんときっついときには大声で怒鳴り散らして悪態ついて、泣き叫んで泣き喚いてさ。
んでも、一通りそれやったら、あとはハラにチカラいれて踏ん張って笑おう。
『なんで自分だけこんなに不幸なんだ』『なんで良いことないんだ、自分だけなんで恵まれないんだ』って、嘆くのは誰でもいつでもできるから。
どういう自分になりたいのか、ってまずは現実にはありえないわ!でもいいから考えて。
その『自分』に、ほんとになるように動いてこうよ。

あきらめるのなんか、さいごでいい。
そんなのはさいごでいいんだよ。


っあー!!!
なんか自分で思ってたよりもさーらーにー意味不明になってるうううううううう!!!!!!


ひとりだ、って思いこんでいても。
ふと、隣みたり、振り返ってみたりしたら。
そこに、だれかがずっといてくれてたりするかもよ。


んーと。
もし、ここまで『あなた』がこの記事を読んでくれていたら。

ありがとう。
感謝します、こころから。

願わくば、光満ちる日々が長くありますように。

ありがとう。
ありがとう。

あいしているよ。