瞑想中に気づいた 

 

 人それぞれ持っているトラウマって、その人が決めたストーリーなのではないか?と

 

 というのも、昨夜 夫が13歳になる息子があまりにも勉強に無関心で 学校で行った期末テストの問題も 

 

 帰ってきたテストも 何処にいったかわからない部屋の散らかり方で、教科書 プリント 筆記具が散乱した状況

 

 に対しても 怒り爆発!!大声で怒鳴り キレまくっつていた。私には小学生中学生と父親にいつも怒られていた

 

 イメージがあり、大人になっても体はいつでも緊張状態。家族と一緒でも、睡眠中以外は 常に体を硬くして警戒

 

 体制で神経をを張り巡らせていた。そのトラウマは大人になって様々な癒やしのツールを使って癒やしてきた。

 

 昨夜の出来事を ちょっと離れていたところで聞いていた私。凄く冷静に聞いていた。

 

 父親の思いは 子供が心配で 子供のことを思って言っているのだ。そこには、父親自身のトラウマももちろん

 

 からんではいるが。親の立場や役割 子供の気持ちや役割などがあり、それを聞いている私・・・と、この全体に

 

 起きていることこそ愛なのではないか?   と感じて、涙が出てきた。