潮騒が聞こえる2  ベースはhttp://sionecafe.livedoor.biz/

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1997年のビーチボーイズのロケを見てから、ぼくらの夏は終わらない
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いま城山の頂上には館山城が建っているけど、

戦争の時は砲台だよね。
だから、頂上には昭和30年代には何もなかった。
s36城山登山道電灯ときどき大人に頂上にも
連れて行ってもらったけど、
コンクリで作られた手すりがある
芝生の広場だった気がする。
登山道も狭く、結構怖かったよ。
昭和36年に登山道に街灯が
ついた。柱にはお店の文字があるから寄付で作ったのかな?
もちろん博物館もない、ただの景色の良い山だった。
夏は道路を蛇が横切っていた。
S40城山展望台
そして昭和40年に頂上に船を模ったという展望台が出来た。
僕らはイカの展望台って言ってた。

そして、いま茶室がある
ところはすべり台が出来て公園らしくなった。
僕が小学校4年くらいの時は、登山道を右に少し降りた所にターザンの丘があった。木から垂らされたつるにつかまって
空中を行って帰ってくる遊びを先輩についてやっていた。
 

孔雀園側の登山道には土手に戦時中に兵隊さんが掘った
畳一畳分の洞穴があって、ぼくらはそこにゲームなどを
持ち込んで過ごした。ここはおそらく米軍上陸に備えて
掘ったものなんだと思う。孔雀園の所は幼稚園だったよね。
坂の途中に石の門があったのを覚えてる。
あの頃、城山は僕らの秘密基地だった。
山頂公園














頂上から一段下がった所には子供連れの市民が上ってきた。
茶室ができる前は売店もあった気がする。
いまは城山は、中途半端な観光地だね。

中途半端さが館山らしくてイイネ。
思い切って、すべて市民のための
市民仕様の城山にしたらいいのにね!

 

 

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かつて、TBSで夜8時からの時代劇シリーズ

「水戸黄門」「大岡越前」
このドラマの監督をしていたのが、
今日の館山の人、鎌田房雄さん。
東映テレビ映画監督です。

鎌田さんの父親は江見出身だが、
水産関係の官吏だったため、
転勤が多く幼稚園と1年が勝浦、2,3年が銚子、

4年生から北条小学校、安房中、安房高と
その後の2年を館山で過ごした。

その後、館山在住の脚本家、
鈴木兵吾の門を叩き、映画の世界へ入って京都の撮影所へ。

鎌田さんの家は、仲町にあった
中村パン屋さん。鎌田さんは言う。
「俺は京都の人間ではない。
館山の人です!名前だって房州の房の字がついていますぞ!」

ヤジュさんも夏にここのパンを食べてたと思うよ。

 

館山ファミリーパークがなくなってしまったことで、
子供の頃、親に連れて行ってもらった船橋ヘルスセンターを思い出した。
ぼくにとって当時、船橋はヘルスセンターだった。

♪船橋ヘルスセンター 船橋ヘルスセンター
 長生きしたけりゃちょっとおいで ちょちょんのぱ

歌っていたのは楠木トシエ。。びんちゃんだ!
「おはようこどもショー」だあ、ロバくん!ロバくん!愛川欽也さん
<わっかるかなあ?わかんねえだろうなあ>

 

長生きチョンパ(船橋ヘルスセンター)楠トシエ

 

今でも歌えるから不思議。。。

同級生のしげくに君がロバ君と体操してたって驚いた!

 

昭和34年 船橋にレジャー施設があった頃

 

 

 

 

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谷津遊園という駅もありましたね。
いまはバラ園になっているとか。
谷津遊園は菊人形で行きました。

暴風雨で大きな被害を受けた塩田や養魚場の跡地を
京成電気軌道<京成電鉄>が買収し、

大正14年に谷津海岸遊園として生まれました。

日本最大の海水プールや演芸館、潮干狩り客の休憩所もあって、
近県の小学生の遠足に人気があった。
日本勧業銀行を移築した楽天府という建物では、

当時珍しいフォークとナイフで食事をとれたそうです。
 

昭和17年から戦争のため閉鎖、昭和22年に再開。

事務職を含めて14人ほどでの苦労のスタート。
海の上のジェットコースターで充実していったが、

昭和57年に惜しまれつつ閉園。

最後の写真は、谷津の湿地の画像ですが、
おお、なつかしいザウスが写ってますね。
ここは室内スキー場としてけっこうすごい施設だと思った。
館山からの特急さざなみで、ららぽーとの駐車場側に見えて
東京駅が近いことを感じた目印でした。