河井継之助記念館(新潟県長岡市) | シンカの進化

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2021年1月28日(木)、道の駅ながおか花火館にて、

ランチを食べた僕は、

次に、長岡市内にある「河井継之助記念館」を訪ねてみました。

これが建物です。
市内に住んでいながら、これまで訪問したことがありませんでした。

最近、地元長岡市の歴史に興味関心があり

訪ねてみることにしました。

入口には、河井継之助の写真バネルがありました。
河井継之助の言えば、司馬遼太郎の『峠』の主人公として有名となりましたが、

幕末の長岡藩士であり、北越戊辰戦争で登場する武士です。

今年の6月に『峠』が映画化され公開されます。

河井継之助役は、役所広司さんです。

そのこともあって、河井継之助について知りたくなりました。

河井継之助はその生涯において、日本各地を行脚して、様々な知識を得ました。

その目は国外へ向き、

幕藩体制のあり方の将来について、

藩をヨーロッパの公国のようにすると良いという思想を持っていました。

新政府が江戸幕府を血肉削りで滅ぼさずに、

平和的に世の中を移行できないか、

と考えたのが、公国という考え方だったようです。

ヨーロッパにはリヒテンシュタインとかルクセンブルクとか公国がいくつかありますね。

公国の中で、特産品を生産し、それを公国間で物流し、経済を活性化させる…

そういう平和思想を持っていたようです。

戊辰戦争が始まる前に、新政府軍の岩村精一郎に戦争回避の談判にいきます。

しかし、岩村精一郎に一蹴され、

それは小千谷談判と呼ばれますが、

すぐに決裂し、戊辰戦争へと突入していきます。

戊辰戦争の際には、長岡藩の総大将として、

戦争の指揮を取ります。

それは河井継之助の本意ではなかったのですが、

長岡藩士たちの立場を考慮し、仕方なくその道を選らばざるを得なくなってしまいます。

長岡藩士の抵抗はかなり強いものだったようです。

長岡藩の殿様である牧野家は、長岡へ移る前は、

三河の国の、豊川や豊橋にいました。

そこで「常在戦場」という精神を築き、

その精神は長岡へ引き継がれました。

河井継之助の平和と改革への希求は、

その後、長岡出身の山本五十六へと引き継がれます。

河井継之助については、地元でありながら、

よく知らないところもありましたが、

この度、その思想、精神、行動など勉強になりました。

河井継之助は戊辰戦争にて足に傷を負い、

福島の会津藩へ移動中に、

その傷が元で命を落としてしまいます。

この河井継之助記念館は、実は河井継之助の生家跡にあります。

これは生家にあった庭を再現したものだそうです。
では!