幼い頃から私は人から何か言われても反応がなく、ぼーーーーっとしている無価値な存在とされてきた。

誰もが私を罵ったり激しい言い方で教えようとしてきたが、私はただ相手を見てじっと話を聞いていただけだったので、ますます苛立つ人もいた。

相手の揶揄に反応して何か考えたり、意思のある行動に繋げたりすることはなかった。

この子は考えているのではない、ただ見ているだけだ! というのが私をよく知る者の見解だった。

それはかなり正しい、だが子供と言うのはそこにもう一つくらい何かあるものだ。

天体写真を撮影する時、星の淡い光がフィルムに影を落とすまで長時間シャッターを開けたままにするのと似ている。

私は目と耳で集めた情報を、なるべく主観を交えず言葉で海馬に書き取っていった。何の為に?(それはわからないの)

 

前置きが長くなった。

父の話だ。

父は私が4歳の年に亡くなっているから、4歳児の記憶ということになる。その記憶に後年脳が肉付けしてきたことは仕方がない。

私は見ただけなので、父の人格についてはわからない。29歳で未亡人となった母の印象が記憶に加えられたことは間違いない。

私が父の職場に車で連れて行ってもらったご機嫌な思い出も、母が解説するには、私の容貌があまり可愛くなかったため父があまり私を相手にしてなかったことを母が咎め、長男である私の兄ばかり連れ回すのではなく私も車に乗せてやってほしいと依頼したことによるという。子供のころ可愛くない方が大きくなって男前になる、というのが母の、あまり頼りにならない持論であった。

父は日当をもらって仕事をする左官であった。仕事で使う軽トラの助手席に私を乗せ、休日の朝で車の少ない福岡の街を走り、小さな事務所の前で車を止め父は、フルーツ牛乳とコーヒー牛乳どっちがよかね?と私に聞いた。一人前のように扱ってくれる父の姿に私は有頂天になったが、返事は遅かったと思う。私を車に残し父は飲み物を買いに行った。

私はまだ運転席に残っている父の残像と会話していた。

「何ば言いようとね?おとうちゃん。コーヒーげな、子供が飲んだらいかんめいもん?その質問はくさ、2択ごたあばってんフルーツ牛乳の1択やなかと?」

時間軸が合ってない会話なので父に届いてはいない。

父が買ってきてくれたフルーツ牛乳はおいしくて、すぐに無くなって尚更に喉が渇いてしまったよ。そしてゆくっり飲んでいる父のコーヒー牛乳が欲しくなった。父が飲む姿をフィルムに穴が開くほどに私はじっと見ていたよ。