冒頭の文章は、
目を覚ましました。
です。そうして「ぼく」は名前を喪失していることに気づきます。
名前を喪失したことで実体が消えていくのか、実体に課せられた運命が先かは解りませんが、「ぼく」はやがて実体を無くしていき、S・カルマという名の名刺に「存在」を乗っ取られてしまいます。名刺が「ぼく」に替わって社に出てタイピストのY子を口説いているのです。
カフカの『変身』を彷彿とさせる出だしです。
安部公房はこの作品で芥川賞を受賞し、また実存主義作家と呼ばれるようになりました。
喪失することで実存の意味を問うているのです。
裁判になります。しかし、所詮誰も裁くことができません。誰もが自己の実存を証明できない者ばかりなのですから。
口をつぐんで、何か表情をつくったようでした。しかしこちらからは見えないのでした。というのは、講演のあいだ中、一口ごとにそり身になってゆくので、とうとう顔が胸の向う側にかくれてしまったからです。言うまでもなく、それは相当に馬鹿気たことでした。が、ぼくはたいして気にかけずにすませました。ぼくはひどくうれしかったのです。なにしろ、マネキン屋の看板人形のいうように、いよいよ世界の果に出発しなければならないのかと暗い気分になっていたところに、世界の果とは自分の部屋だという話なんですから。
この『壁』という作品、次の三部から構成されています。
第一部 S・カルマ氏の犯罪
第二部 バベルの塔の狸
第三部 赤い繭
第一部で名前を、第二部で目以外の肉体を喪失し、「ぼく」は認識の旅へ出ます。
所詮、認識がなければ無限の宇宙と何の隔たりもなく、壁もない、、、それは、実在とは言えないのです。
「壁」とは隔てるための障害ではなく、認識によって築き上げた自己という名の塔なのです。
「ぼく」は夢を見ます。まだ築き上げてもいない自己という誤解から離れ、真の認識によって得られる実像への旅立ちを暗示しています。
街は一面火の海です。
その炎は草花や霜の結晶の形をした赤い物質で、家の窓や壁の割目や、うろうろ這いまわっている人間の鼻や口や目から腫物のように生えて、ゆらゆらゆれ動いています。
その上を、無数のぼくが飛びまわっています。左手に炬火を、右手に剣を、そして悪魔の形相で、ケッケッケッケッと鳴きわめいています。
しかしそれは偽者のぼくなのです。
本物のぼくは、その中を、一枚の訴状になってひらひら飛んでいるのです。これまでの一切のいきさつと、それに対するぼくの意見が詳しく書かれてありました。しかるに何故かその訴状は白紙なのでした。
偽者のぼくの一人が、ぼくに気づきました。そしてぼくの上に「死刑」と書きました。つづいて別の一人が、同じように「死刑」と書きました。それから次から次へと手渡って、ついにぼくは「死刑」という字でぬりつぶされてしまいました。
すると、どこからか例の獣が現われて、ぼくを食べてしまいました。
例の獣とは、空飛ぶ柩に乗った「笑うとらぬ狸」です。とらぬ狸が、「ぼく」を砂漠の中のバベルの塔に案内し、寓話は永遠へと発散していくようでいながら、ここまでにまだ「認識」を所有していない読者からもその実体を奪っていきます。
気をつけてください。