自分の行為に美意識を持ち、恋をしても告白はせずに美意識と孤独を守る。
芸術や宗教で我が身を推し量りながら、純粋な愛に生きた主人公・汐見茂思の恋愛小説です。孤独だけが彼の美意識を守りました。死や徴兵という時限装置が物語に働いています。
 
汐見茂思の恋の相手は、前半が藤木忍(男です!)、後半は藤木の妹・千枝子です。
 
タイトルは聖書から取っています。

 
人はみな草のごとく、その
光栄はみな草の花の如し。
                  ペテロ前書、第一章、二四
 
 
汐見は藤木忍(繰り返しますが、男です!)に美しく完璧な精神を見出し、愛しますが、その愛は藤木(繰り返しますが、男です!)に拒絶され続けます。

 
---僕は愛してなんかほしくないんです。とはっきり藤木が答えた。
---え、どうして? 僕にその資格がないと言うの?
---そうじゃありません、僕に資格がないんです。
---そんなことが・・・。君の魂がどんなに純潔で美しいか・・・。
---僕は下らない、平凡な人間です。自分のことは自分がよく知っています。


---だけど人間なんて無力なものだよ、そんなに君みたいに言ったって、・・・
---それは無力です、僕なんかそれにとりわけ弱虫なんだから。でも僕の孤独と汐見さんの孤独と重ね合せたところで、何が出来るでしょう? 零に零を足すようなものじゃありませんか?
---孤独だからこそ愛が必要なのじゃないだろうか?
---僕はそっとしておいてほしいんです、と弱々しく繰返した。

 
藤木は、自分を平凡な存在と見てくれない汐見の愛が負担なのです。
 
ここで椿事(ちんじ)が準備されています。
夜の海で、櫓を無くした小舟の中で、彼等は二人っきりになり、藤木は汐見にしがみついて離れません。
汐見が胸の中で温める想い出の一コマとなりました。
この辺のプロットの運び方は流石。
しかし、藤木忍は、病気で死んでしまいます。 
 
後半、物語は、藤木の妹の千枝子との愛の話に移ります。
 
いつ赤紙が来て、徴兵されるやも知れないと言う、時限装置つきの恋愛です。
 
そういう状況設定の中で、千枝子との愛に甘えたい反面、自分に厳しくして逢わない日を作る孤独屋。
もっと、いい加減に生きられたらいいのに。。。
 
二人の最初のキスに至る描写です。コンサートの帰り道・・・
 
 公会堂の石段を降り切ると、ひっそりした群集は三々五々、影絵のように闇の中に散り始めた。そこまで、まだ音楽の余韻が漂っているように、空気は生暖かく重たかった。僕等は次第に薄れて行く音楽の後味を追いながら、ゆっくりと歩道を歩いた。どんなにゆっくり歩いても、ゆっくりすぎることはないような気がしていた。
---千枝ちゃん、お茶でも飲む?
 千枝子は僕の方に顔を向けて、首を横に振った。
---返事をするのも惜しいみたいだね、と僕はからかった。
---だってとってもよかったんだもの。汐見さんはそんなでもない?
---そりゃ僕だって。僕は音楽会へ行くのが、もう唯一の愉しみだよ。
---あたしのことは? と悪戯っ子のように訊いた。
---おや変な揚足を取ったね。千枝ちゃんに会うのも、そりゃ勿論愉しいさ、だけど千枝ちゃんの顔を見てると、色んな苦しいことも同時に思い浮かんで来る、基督教のことや戦争のことや、とにかく僕等二人と関係のある色んなことがね。音楽を聴いている時には、もう苦しいことは何もない、心は充ち足りて、好きなだけ夢を見ることが出来る、本当に生きていると思う。千枝ちゃんはそうじゃないかい?
---あたしはそんなに音楽なんか聴かないもの。でも今日は本当によかった。とっても素晴らしかった。
 
(ショパンの話から芸術・死の話へ)
 
 新橋から省線に乗ると、釣革につかまった二人の身体が車体の振動のために小刻みに揺れるにつれて、時々肩と肩がぶつかり合った。そうするとさっき聞いたコンチェルトのふとした旋律が、きらきらしたピアノの鍵音を伴って、幸福の予感のように僕の胸をいっぱいにした。満員の乗客も、ざわざわした話声も、薄汚れた電車も、一瞬にして全部消えてしまい、僕と千枝子の二人だけが、音楽の波の無限の繰返しに揺られて、幸福へと導かれて行きつつあるような気がした。僕はその旋律をかすかに、味わうように、口笛で吹いた。千枝子が共感に溢れた瞳で、素早く僕の方を見た。
 電車から降りてもこの気分は続いていた。暗い坂道にかかると、僕はポケットから手を出し、千枝子の肩を抱くようにした。ほっそりした肩は、素直に僕の方に凭れかかった。
 
コンサートの帰り道を描写した小説の中では、私はこの作品が一番好きです。
 
彼女も結局、彼の崇高な恋を受け止めることはできませんでした。そして汐見は戦争に駆り出され、タイムアップ。
戦争から帰り、結核を患って精神の屍となった汐見の姿、この作品の冒頭はそこから始まっています。