渡辺淳一 『君も雛罌粟我も雛罌粟』

 

与謝野晶子の「みだれ髪」は、文学的に熟した彼女が人生の集大成として出したものとばかり思っていました。

だから、あの情熱的な歌集を目にする時、何故生涯をかけて恋の歌ばかりを歌えるのだろうかと不思議にも思いました。だって、長い人生は恋以外にいくらでも考えることが多いではありませんか。
しかし、ほとんどの歌は、鉄幹に恋した1年のうちに詠まれ、1年のうちに発刊されたものだとわかり、納得。
 
歌の舞台は、鉄幹と晶子の逢瀬を知っている者ならば、いつ、どこの旅館で、とまで判明してしまう程具体的に詠まれていて、周囲は赤面ものだったとか。

 
鉄幹の女性問題については、話には聞いていたものの、度肝を抜かれました。いい男を自認してもいたらしいですが、女性に対して言葉でいい気分にさせる天才。逢うごとに女性をいろんな花に喩え、白芙蓉の君とか、衆人の前で憚ることなく語りかけ、君も私も選ばれた星の子です、などとこそばい話ができるのですからすごい。しかも相当に筆まめ。
しかしその鉄幹の言葉巧みな誉め言葉に、女性は恋をしてしまうだけでなく、女流歌人としても精進することになり、雑誌明星に出てくる数人の女性を世に出すことにもなるのです。山川登美子もその一人。3番目の妻とした与謝野晶子もその一人。
 
鉄幹の女性関係については辛辣な評判が飛び交いました。
 
まず、兄の経営する女学校で教師をしていた頃、教え子の浅田信子と恋仲に。教師の鉄幹が17歳で、信子は20歳という妙な二人でしたが、ロマンを語ることに言葉巧みな鉄幹にかかれば、おぼこい田舎娘は忽ち撃沈。
二人は大人たちによって引き裂かれますが、信子の親が資産家であることから上京後もつきあい、鉄幹は最初に創刊した文芸雑誌「鳳雛」の出版費用を出させたと言います。
やがて二人の間に子供ができますが、生まれてすぐに死んでしまう。
鉄幹はこれ以上信子の実家からの資金援助が不可能と見るや、正式な結婚ではなかったものの、信子に離縁を迫ります。
 
傷心の信子が実家に帰るや否や、それが噂にならぬうちに、女学校の別の教え子林滝野の家に結婚を申し込み、養子縁組であることを条件に承諾を勝ち取る。滝野の実家からまたもや資金援助を得ます。
 
渡辺淳一は、鉄幹の女性関係に関する周囲の悪評を肯定しながらも、鉄幹が文学的に純粋な人物であったこと、女性の実家に出させた資金はすべて創刊する雑誌の費用のためで、私利私欲のためではなかったとしています。

 
二人目の妻、と言ってもこの人も正式に婚姻していませんが、林滝野を娶った時期に鉄幹は雑誌「明星」を創刊し、一躍短歌の世界の第一人者となります。
鉄幹は天才なのです。彼の文学上の業績は、最終的に数人の女流歌人を育てあげたことだけでも確かなもの。ただし天才にはお金がない。まわりの女性は不幸になりがち。。。
滝野も彼女の実家も浅田信子に対する鉄幹の仕打ちはもう知っており、更に養子になると言う約束も反故にする鉄幹に愛想を尽かします。
しかし鉄幹は、引き続き滝野に雑誌編集の業務をやらせ、実家からは資金援助を引き出そうとします。

 
林滝野が雑誌明星の編集をする元に、来るわ来るわ、大胆な女性たちの私信や恋の歌。
山川登美子と晶子とはその時点で鉄幹と体の繋がりもあり、他の女性同人も鉄幹のロマン溢れる言葉に酔わされていて、その思いを大胆に歌にするわ、私信においては滝野があきれるほどの言葉が書いてある。

 
滝野という妻がいるのである。自分が編集のために真っ先に目を通していることを知らないことはあったとしても、モロに鉄幹への思いを読み込んだ歌が雑誌に掲載されれば、妻もそれを見るはずだと、この者たちは考えないのであろうか。
 
滝野の、悔しさと言うよりは唖然とした思いを、のちに彼女を追い出して妻の座を勝ち取った晶子も、同じように知ることになります。
 
鉄幹の企画力が素晴らしい。
与謝野晶子の「みだれ髪」、何より鉄幹が名付けたこのタイトルが当たったと思われる。
写真を見ても晶子の髪は多い方だが、男性の体の下で髪をほどいた映像を喚起させ、なによりリアルタイムで若い女性が女の情念を心のままに歌っている歌集。
二人の出会いは浪漫主義の一時代を築いた。
 
鉄幹に初めて肌を晒した日のことをこう歌う。

 
歌にきけな 誰れ野の花に 紅き否む おもむきあるかな 春罪もつ子

 
私は、恋の歌以上に風物を詠んだ歌にいいものを感じます。

 
清水へ 祇園をよぎる 桜月夜 こよひ逢ふ人 みなうつくしき



 
鉄幹とお泊まりした後デートした祇園だから、桜も月も、今宵逢う人も、みんな輝いて見えるのでしょう。 
 
 
鉄幹は日清戦争の前後は戦争賛美の詩も書いていましたが、日露戦争の頃から、文壇の使命は反戦であるとの気流ができ、鉄幹の主義主張も反戦へと大きく舵を取っていきます。
その頃既に鉄幹の妻であった晶子には特別な政治的思想は見受けられぬものの、鉄幹に同調し、反戦の歌も詠みます。

 
ただし、この有名な詩は、その語調の美しさによって反戦詩の代表格にまで押し上げられ、政治的圧迫を受ける心配まですることになりましたが、お咎めはなかったようです。むしろジャーナリズムより、反戦思想とはほど遠い身内の無事だけを祈る卑小な歌とつつかれ、そういう批判によって、かえって晶子は有名人となっていったようです。
 
 
君死にたまふこと勿れ

あゝをとうとよ君を泣く
君死にたまふことなかれ
末に生れし君なれば
親のなさけはまさりしも
親は刃をにぎらせて
人を殺せとをしえしや
人を殺して死ねよとて
二十四までをそだてしや

 
(以下略)
 
 
企画は素晴らしい鉄幹。しかし計画性の無さから挫折を繰り返し、女性問題も相まって世間の信用を失っていく彼。雑誌が鉄幹のスキャンダルをセンセーショナルに書き立て、作品への評価もなく、ついには妻にした弟子の晶子にまで名声で逆転されてしまう。

 
晶子は、落ちぶれた鉄幹にヨーロッパへの遊学を勧める。鉄幹は妻に感謝してパリに遊ぶ。

 
その夫に会いにフランスまで追いかけようと言うのは、晶子の肉体的欲求にも依ったと、作者は書きます。渡辺淳一って、いつもそっちの方向ばかり目がいくようだけど。
とにかく晶子は、遠い異国の鉄幹に人生二度目の恋心を抱き、逢いたくてたまらず旅立つのです。

 
「みだれ髪」で見せた狂おしいばかりの恋心が、ふたたび炎となって彼女を包む。
 
 
新婚のようなパリの日々。彫刻家のロダンに会った感動で、帰国後に生んだ8人目の子供に、アウギュストと名付けるから驚く。。。

 
ある日、夫婦はツールの郊外で丘の斜面一面の雛罌粟(ひなげし)を見る。

 
 
「雛罌粟よ・・・・・」
「フランス語ではコクリコというんだ」
 二人は一瞬立ち止まり、その真紅の絨毯を敷きつめたような斜面を見下ろしていたが、突然、晶子がその赤い花のなかに駆け出し、それを追って寛も走り出す。
 花飾りのついた帽子をかぶった晶子が、長いスカートの裾をひるがえしながら赤い花々のなかに吸い込まれ、それを追って寛の白い服が蝶のように追っていく。下り斜面のせいか、晶子の足は意外に早く、小さな窪みの先のところで、寛がようやく捕まえる。
「もう、逃がさない」

 
 
寛とは鉄幹の本名です。
この本のタイトルは、この時の浮かれる自分を詠んだ晶子の次の歌に依ります。

 
 
ああ皐月 仏蘭西の野は 火の色す 君も雛罌粟(コクリコ) われも雛罌粟